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余市臨港鉄道を訪ねて

 『日本鉄道旅行地図帳』シリーズの最初の号を刊行したのは、平成20年5月のことでした。企画書を重役に提出したのが、前年の1月で、本格的な準備に取りかかったのが春頃からだと記憶しています。当時は営業部にいましたから、打ち合わせなどは夕方以降に行われることがしばしば。休日は取り上げるべき鉄道を調べるのに費やしました。全線全駅は必須として「全廃線」に踏み出すかどうか迷っていました。

 最初の号は「北海道」に決めていましたので、ゴールデンウィークに北海道に出かけました。協力者の方々へのご挨拶とお願いも兼ね、いくつかの私鉄廃線跡を歩いてみようと思っていました。
 帯広で十勝鉄道、旭川で旭川市街軌道を訪ねました。いずれもこの段階ではこの2つの鉄道は資料も少なく、駅名一覧を作成するのに難渋が予想されたからです。もっともこの後、もっと難敵がいくつも立ちはだかることになるのですが、1年前のこの時点ではそんなことは知る由もありません。
 自分では廃止鉄道にもかなり詳しいと思っていたのですが、あらためて調べて見ると知らない鉄道が次々と現れました。旭川の旭川市街軌道も名前は知っていましたが、例えば、このあと訪れた余市臨港鉄道は知りませんでした。
 調査ということであれば、図書館や資料館に向かうべきなのでしょうが、この時は余市がどんなところなのか歩いてみたかったのです。小樽~長万部間は極端に列車本数が少ない区間です。札幌を早朝に出発して余市駅に降り立ちました。この駅は何度も通過していますが、降りるのは初めてでした。鰊、ニッカ、毛利さん、ぐらいのキーワードぐらいしか知りません。
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▲余市駅を発車する列車とホームにあるウィスキー樽
 駅前にはニッカの古い工場がありました。余市臨港鉄道は昭和15年に廃止されていますから、痕跡はどこにも見当たりません。春の日差しのなか、浜余市に向かって歩き始めました。歩いている道が「雷電国道」という名前だということはあと知りました。余市橋があり、続いて警察署もあったので、駅名を順に辿っていることは確かでした。
 浜中町あたりでしょうか、立派な木造平屋の建物が現れました。これは国指定重要文化財の旧余市福原漁場の建物です。鰊漁が盛んだった頃を思わせる大きな建物です。その近くには洋館がひっそりと建っていました。これも鰊景気の勢いで建てられたものでしょうか。重要文化財よりもこちらの来歴の方が気になります。
20131203_03.JPG 20131203_04.JPG ▲旧余市福原漁場とその近くの洋館
 少し先で国道から分かれて歩くと、水産試験場の大きな建物が見えてきました。このあたりが余市臨港鉄道の終点浜余市駅があった場所だそうです。広い駐車場の隅に幸田露伴の句碑がありました。幸田露伴は明治18年に逓信省判任官としてこの地に赴任、任期の2年を前に東京に帰ってしまったそうです。
 結局、余市臨港鉄道の痕跡を何も見つけられないまま、廃線跡歩きは終わってしまいました。図書館で資料を漁るより、廃線跡を歩いた方が楽しいのですが、こんなことしていたら仕事になりませんね。鰊がどれほどの活気をこの町にもたらしたのかも、実感できないまま、余市駅前から岩内行きのバスに乗りました。
 最近になって、その余市の活気を写した写真を発見しましたので、ご紹介しておきます。写真の余市駅の広い構内は熱気に包まれています。箱詰め鰊を貨物列車で積み出すために、荷馬車が駅に殺到している様子です。この写真の説明には「恰も戦場の様だ」と書かれています(『日本地理大系 北海道編』改造社 昭和5年より)。私が訪れた平成19年時点の写真と見較べていただければと思います。
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編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年12月03日   北海道   タグ : 余市臨港鉄道

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