この土日は「大人の休日倶楽部」の乗り放題切符で東北方面に出かけようと思っておりましたが、諸般の都合で東急東横線の駅を撮影してきました。渋谷〜妙蓮寺間は定期券があるので、交通費はほとんどかかっていません。毎日乗車している東横線ですが、他線に乗り換える駅以外は降りる機会があまりありません。中でも学芸大学、新丸子、元住吉、綱島はかなり久しぶりでした。
東急東横線を語るとき、目黒蒲田電鉄の田園都市開発のことに触れられることが多いと思います。田園調布付近の計画的な住宅開発と駅前の整備は、今でも開発者の意気込みが息づいている空間だと思います。
▲保存されている田園調布旧駅舎と駅前ロータリー
今回久しぶりに駅前に立って、駅前ロータリーを眺めてきました。午後の日差しを浴びる旧駅舎も写真に収めてきました。この田園調布駅前の風景が東横線のイメージを高めてきたことは間違いないと思います。
ただしこのような駅前は東横線ではここだけと言ってよいでしょう。駅前広場を確保している駅は、渋谷と横浜を除くと、祐天寺、自由が丘、それに大昔の桜木町ぐらいでしょうか。日吉西口は田園調布のように駅前から放射状に道路が伸びていますが、広場と呼べるような空間はありません。バス停は降車専用です。
▲日吉駅西口(左)は商店街、東口(右)は慶應大学
東横線の渋谷〜横浜間が全通したのが昭和7年。人家もまばらな所、多摩川を渡れば横浜付近までほとんど人家もないような所を走っていただけに、駅前整備などという発想はなかったのでしょう。戦後、無秩序に駅前が発展していき、周辺にも住宅ができる頃には、バスが駅前に入るのも難渋する事態になったということだと思います。
沿線人口が増えれば、電車の編成も長くなり、駅も大きくなります。気がつけば、都内から菊名までほとんどの区間が高架化または掘り割り半地下になっています。昔ながらの独立した駅舎を構えるのは、妙蓮寺だけかもしれません。
駅名看板を掲げた出入口付近を撮影しようとして、「ひき」が取れずに苦労したのは、学芸大学、新丸子、綱島、白楽です。新丸子は複々線化前の地上駅のころはもっと余裕があったと思いますが、他の駅は昔から駅前がごちゃごちゃしていました。
▲学芸大学(左)と新丸子(右)
▲綱島東口(左)と白楽(右)
私は幼稚園から小学生時代まで東横線、中学生から40歳まで田園都市線、その後また東横線沿線に住んでいます。田園都市線の駅前に余裕がある街並みに馴れていたので、東横線の「駅前ごちゃごちゃ」はなんとなく嫌だなと思っていたのですが、50歳を過ぎて見ると、「コンパクトシティ」も悪くないなと思い始めています。
編集部 田中比呂之(ひろし)