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たまプラーザの衝撃

 久しぶりにたまプラーザ駅に行きました。西暦でいうと90年代は田園都市線のたまプラーザ駅が自宅の最寄り駅でした。歩いて5分ぐらいのところに住んでいました。この沿線で思春期を過ごしたので、違和感なく過ごしました。ただ駅名が「たまプラーザ」、住所は「美しが丘」、駅名にも住所にも土着性が感じられず、作り物の町に住む感じは常にありました。

 さらに余談ですが、「たま」にどうしても違和感がありました。このあたりは「多摩田園都市」と開発者の東急が宣伝していますが、「田園都市」は東急の伝統的不動産用語ですからよいとしても、たま=多摩は東京の地名という印象が強く今でも馴染めません。
 それでも10年近く住んでいたのですから、もちろん馴染みもあり懐かしくもあります。今世紀に入る前に現在の東横線沿線に引っ越し、たまプラーザに行くこともほとんどなくなりました。
 この年末、田園都市線の駅全駅撮影を試みました。田園都市線の変遷はややこしいのでここでは触れませんが、現在は渋谷~中央林間間がその区間です。元新玉川線区間は地下、二子玉川~溝の口間は玉電の改良区間、溝の口~長津田間は昭和41年に開通した「多摩田園都市」の中核区間、長津田~中央林間間はその後順次開通した区間です。
 あとから開通したつくし野~つきみ野間は、開通当初とそれほど駅の印象は変わっていませんでした。溝の口~長津田間ではそれぞれ少しずつ手が入れられ、通常変化の範囲内に納まっていると思いますが、たまプラーザの変貌には仰天しました。
20140107_01.JPG ▲駅構内を見下ろす
20140107_02.JPG 20140107_03.JPG ▲正面(左)と開通時は改札がなかった裏口?(右)
 ガラス張りの「体育館」の中にすっぽりと駅が収まっていました。上階からは駅の様子が見渡せます。気持ちのよい空間が広がっています。もうひと頑張りして、JR大阪駅のようにホームまで見えるともっと楽しい空間になったのではないかと思います。電車の出入りを眺めながら食事やお茶が飲めたらともっともっと楽しい空間になったのにと残念でなりません。
 ドイツのハンブルグ駅に降りたとき、ホームを取り囲んで見渡せる高さに回廊があり、店舗が並んでいました。もちろん大屋根がついています。改札のないヨーロッパの駅と単純に較べることはできませんが、上に広い空間があいていると開放感に浸ることができます。たまプラーザ駅内を歩いていてそんなことを考えました。
 たまプラーザはターミナル駅ではありません。そこにこれだけの施設をつくるのは珍しいと思います。たとえホームが見えても電車のバラエティには限界があります。どこかで大屋根、吹き抜けでホームを取り囲むような形で店舗が並ぶ駅に挑戦してほしいものです。

追伸 
「KINU」さま、西武の標示は昔から親切設計でしたね。西武新宿の電光掲示版をよく見ると左端に上から「つぎ」「こんど」「そのつぎ」「そのあと」と書いてありますね。確かパタパタの時代に「つぎ」と「こんど」はどちらが先かなどという茶化しがマスコミに出たことを思い出しましたが、「そのつぎ」「そのあと」には笑ってしまいました。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2014年01月07日   関東   タグ : 東急田園都市線

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