戦前の「旅」に駅スタンプが毎月紹介されていて、それを整理中ということをお知らせしました。すみません、まだ整理途上です。その間にも「日光牛車鉄道」さんが続々と戦前スタンプをアップされています。こちらはまだ整理途上ですが、いくつか照合をさせていただきたいと思います。
このブログで何度も書いてきましたが、駅スタンプの絵柄は暗号そのものです。絵柄についての説明はほぼどこにもないと言って良いと思います。唯一絵柄について説明しているのが、昭和6年から始まった戦前の「旅」の駅スタンプコーナーです。それも個々のスタンプについて説明付きで紹介するようになったのは、昭和8年からでした。
しかもその説明のほとんどは当事者であろうことが想像されます。回りくどい書き方ですが、そのことについて説明がありません。説明の基本は、絵柄の紹介、設置日、色、考案者です。当時の「旅」は一色刷ですから色の情報が必要でした。私が注目しているのは、考案者でしょうか。駅長、駅員、町の有力者、転轍手など様々で、物語を感じさせます。
まず釧路駅。「日光牛車鉄道」さんは3つの戦前スタンプをアップされていて、うち2つは絵柄が同じで、年と色違いです。円形の方は阿寒岳、丹頂鶴、釧路湾、釧路川の絵柄、手前の釧路川は説明されないとわかりませんね。色は赤となっていて、その通りですね。考案者は小学校の訓導氏です。このスタンプは昭和11年には紫色のインクに変わっています。
もうひとつはラッパだったんですね。これは説明してくれなければわかりません。釧路橋とは幣舞橋とは違うのでしょうか。考案者は札幌鉄道局経理課とあります。どういう事情で経理課なのでしょうか。部内旅行で釧路に来て、盛り上がった勢いで作ってしまったのでしょうか。
増毛のスタンプもかなりいろいろな事柄が詰め込まれています。鰊漁で勢いのある増毛が伝わってきます。増毛の港は北海道最古であることも説明されています。灯台の光線に「増毛駅」と描かれているのも格好いい。お国自慢は当事者に限ります。
現在より戦前の方が私鉄のスタンプ設置は積極的だった気がしますが、いかがでしょう。小田急には確認できただけでも、伊勢原、鵠沼海岸、和泉多摩川などがあります。そして竜宮城の駅舎で有名な片瀬江ノ島にもスタンプがありました。設置日は昭和8年5月25日です。現在でも十分奇抜な駅舎は戦前からあの姿でお客さんを迎えていたのですね。
いかがでしょう。説明を受けるとちょっとホッとしませんか。現行の駅スタンプも何らかの形で絵柄を説明する術はありませんか。
今日はこれぐらいにしたいと思います。引き続き整理を進めます。「日光牛車鉄道」さん、スタンプお借りしました。
編集部 田中比呂之(ひろし)