竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第21回 民謡の風情

 子どものころから三味線音楽が好きでした。気がついたら歌舞伎を見ていて、それが習慣になっていたという環境もあると思います。別に芸事を職業とする家に生まれたわけではありませんが、家族全員、歌舞伎が好きな家でした。

 歌舞伎を見ても、まだ子どもですから話の筋や複雑な人間関係などもちろん分かりませんし、出演俳優の芸の良し悪しなど理解できるはずもないのですが、なぜか退屈になったことは一度もありませんでした。日常生活とはまったく次元の違う世界なのに、性に合っていたということでしょうか。

 歌舞伎は基本的に三味線音楽と共に進行いたします。時にバックミュージックとして場面を盛り上げたり、ある時はダンスミュージックとして踊り手を誘導したり、舞台上の動きを見ていると、自然に三味線音楽が耳に入ってくる仕組みになっています。そのうち、ラジオから流れてくる邦楽番組を聴いていて、あ、これ前に聴いたことがある、と思うようになりました。昔はラジオだけでTVなんてありませんでしたから、自然に聴覚が鍛えられていったのかもしれません。

 日本の弦楽器には大きく分けて琴、胡弓、三味線があります。それらはさらに細かく分類されますが、三味線の場合は太棹、中棹、細棹に分類され、私が歌舞伎と共に好きになったのは、このうちの中棹と細棹です。(太棹は語りを誘導する義太夫節の楽器として発達してきたもので、もちろん日本人はなんと凄い芸能を生み出したのだろうと驚嘆していますが、今回のタイトルとは少し方向が違いますのでまたの機会に)その中棹、細棹を使う伝統芸能としての主な邦楽に、地唄、長唄、常磐津、清元があります。これらの邦楽につきましては、長年親しみ、かなり理解していると自負しておりましたが、加賀に移住してそろそろ1年。歌舞伎と歩を共にしてこなかった音楽として、私自身が勝手に埒外に置いていた『民謡』の魅力を再認識させられることになり、大きな衝撃を受けたのです。

 場所は1300年の歴史があるといわれる山中温泉。山中漆器の生産地としても有名な所です。ご近所の方が加賀三温泉巡りのイベントに誘ってくださいましたので参加いたしました。加賀三温泉とは山中、山代、片山津のことです。そのうちの山中温泉では、小さいけれど立派な設えの山中座という劇場で芸者さんたちのお座敷芸を見せてもらうことになっておりました。正直に申し上げてあまり期待していなかったのですが、舞台の幕が開き、歌い手の最初の一声を聞いた途端、思わず私は座りなおしてしまいました。

 本物だったのです。気軽に口ずさむローカル色豊かな民謡ではなく、歌舞伎を通して発達してきた日本の伝統芸能である本物の邦楽を継承している歌い方だったのです。曲目は5、6曲で長唄、清元などの大曲も含まれておりましたが、いずれも短くアレンジしてあり、すべてに踊りがついておりました。その何番目かに歌われたのがご当地の民謡、山中節だったのです。

 歌い手は、ぼたんさんという古参の芸者さんでした。彼女の歌い方はどの曲も邦楽の基本を確実に踏まえ、気負わず崩さず上品で、伝統芸の担い手としての矜持をきちんと保っていました。私は感激してしまい、すぐにそれを知人に伝えたところ、とんとんと話が進んで、ぼたんさん率いる山中節の一行は加賀市の文化使節のような形で東京に進出、大盛況の神楽坂まつりで山中節をご披露してまいりました。もっとも1970年の大阪万博の舞台をすでに経験なさっているそうですから文化使節としても本物なわけですね。

 山中節の由来には諸説あるようで、かの芭蕉翁がこの地に逗留したころ、すでに歌われていた湯座屋節がもとになっているという説。いや、北前船の船頭が蝦夷地の江差追分や松前追分を持ち帰ったという説、その江差追分は信濃追分の馬子唄や越後の松坂くずしがもとになっているなど、いろいろです。私は、全部本当だと思います。決まった歌詞があるわけではなし、楽譜なんてもちろんありませんから、その時々感じたままの情景を耳に残っている音をなぞりながら口ずさんでいたのだと思います。

 毎年9月の第一日曜日の夜、山中温泉の町中を土地の有志がお揃いのゆかたを着て練り歩く道中流しが行われます。山中節に魅せられた民謡、端唄の第一人者・本條秀太郎さんの肝いりで10年ほど前から始まったものだそうですが、私も今年初めてその場に行き会うことができました。緑の山に囲まれた温泉町に三味線と胡弓の音が流れ、提灯を先頭に情緒ある振り付けの踊りを含めた流しの行列が、静かに練り歩いて行く様子はとても幻想的です。

 山中温泉は文字通り山の中に位置しておりますので冬は市内の他の地域よりも1、2度気温が下がります。実りの秋と同時に、次に訪れる厳しい冬をも併せて迎え入れようとする人々が万物の御霊(みたま)に祈りをささげているように見える、鄙びた風情の宴です。

021-1.jpg
鄙びた風情で山中節を練り歩く人たち

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

ブログ記事検索