竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第32回 修行不足

 JRの駅構内で線路に落ちた人を助けるためにホームにいた乗客2、3人が線路に降り、無事助け上げたというニュースが朝のワイドショーを賑わしていたことがありました。この件について、批判を含めての個人的見解がSNS(Social Networking Service)を通じて多数寄せられているそうで、その反応の速さに驚きます。救助にあたった人を偉いと称賛する意見もあれば、二次災害を引き起こす場合を考え、いたずらに人命救助を讃えるべきではないという意見もありました。優柔不断な私は、どちらもごもっともと考え込んでしまいます。

 確かに線路に立ち入ることは、いかに人命救助が目的でも不測の事態を慮ることも重要でしょう。けれども何の対策も講じないまま目の前に最悪の光景がくり広げられてしまったとしたら、そこに居合わせた人たちの脳裏には生涯、言いようのない汚点が残るのではないかという気もいたします。冬山の遭難事故の場合も雪崩や凍結や悪天候などを理由に救助に向かえない場合がありますね。そういうときの救助隊員の皆さんのお気持ちは察するに余りあります。災害というものは直接の当事者はもちろんのこと、たまたま居合わせた赤の他人の立場まで狂わせてしまうものだと改めて恐怖を覚えた次第です。

 それに加えて、たちまち情報が拡散され、極めて強い勢力となって個人を良くも悪くも評価するSNSの存在にも恐怖を覚えました。見えない勢力というものは、たとえそれが誉め言葉を寄せたものだとしても、なにか思惑が絡んでいるのではないか、などと妙な不安に駆られるものです。まして非難のコメントが群れをなして襲ってくる不安と恐怖は計り知れないのではないでしょうか。時代の推移にも影響されているのかもしれませんが、非常の場合の咄嗟の判断について、考えれば考えるほど途方に暮れてしまう近頃です。

 以前、とある高齢者が大怪我をしてドクターヘリで救急病院に運ばれ、一命をとりとめたという話がありました。世間の狭い私は、ドクターヘリの存在そのものをテレビドラマを見るまで存じませんでしたから、まるで戦場の最前線のような環境で負傷者の治療にあたるドラマの中の医師たちの活躍ぶりを見て、こういう医療活動もあるのかと驚愕しておりました。ですからドクターヘリが普通の社会生活にも密着した存在で、災害の現場だけではなく日常的に活動しており、高齢者の緊急を救うこともあるのだと知ってさらに驚きました。そして私の驚愕はまだ続きます。高齢者がドクターヘリを使ってまで延命したがるというのは甚だ不届きである。飽きるほどの年月を生きてきたのにまだ生きたいのか、というような意見が一部で報道されるようになったのです。困ったことに私はまたもや、ごもっともと思ってしまいました。日頃から80年も生きてきたのだから、いつ死んでもいいと思っているからです。

 お断りしておきますが、それはあくまでも私の独りよがりの意見で、同じくらいの年齢でも「この世に何の未練もないけれど、今は、まだ死にたくない」という方のほうが圧倒的に多いように思います。ただ私は自分らしく生きている自覚があるうちに死にたいと、ずうっと前から願っておりまして、それはカウントダウンに入ったと自覚している現在も変わっておりません。もちろん、まだやり残したことがたくさんありますが、それを完成させるには、この先まだ80年くらい生きなければなりませんし、私がやりたいことをやり残したまま死んだとしても、後世に大きな影響を及ぼすこともありませんでしょう。苦痛を感じぬまま、今の幸せを有難いと思いつつ死ねるのなら、明日の朝目が覚めなくても困ることは何もないのです。むしろ、自分を哀れんだり、生きていることを呪ったりしながらなお生き続けなければならない境遇に陥った場合の自分にこそ恐怖を感じております。ですから私は、高齢者はドクターヘリを遠慮すべきだという意見に賛成ですし、私がその状況に立ち至ったときは、どうぞ苦痛を止める以外の処置をとらないでいただきたいと切にお願いしたいくらいです。

 しかし、しかしです。万が一、自分が当事者ではなく、重篤な症状にある高齢者を間近で見た場合、見過ごしにできるだろうかという疑問が残ります。たぶん無理でしょう。咄嗟の判断というものは冷静さを欠く場合があります。ですから後で非難を受けるかもしれませんし、お節介だったと自己嫌悪に陥ることもあるかもしれません。でも、たぶん、前後の見境もなく、とりあえず助けるための、なんらかの手段をとってしまうに違いないと思います。精神的な鍛練がまだまだ足りないという証拠でしょうか? どうかそういう場面に遭遇しませんようにと願うばかりです。

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これは「源平桃」というそうで、紅白の八重咲の桃の花です。
加賀は木曽義仲、斎藤実盛と、源平双方に所縁の武将が戦った所で、その遺跡もありますのでこの名前がついたものと思われます。
通りすがりのお庭先の見事な桃の木を撮影させていただきました。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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