竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第38回 祈る

 たぶん、生きとし生けるもののなかで祈りを捧げるという行動をとるのは人間だけだと思います。

 人間に最も近いと言われるチンパンジーには、近くにいる人間、たとえば飼育員との間に信頼関係が生じるくらいのことはあるでしょうし、自然界に生息するチンパンジー同士でも、上下関係による多少の信頼は存在するかもしれません。けれども、どちらの場合もその関係はあくまでも上下関係であり、相手に願望や服従を表現することはあっても、精神を解放する祈りに至ることはあるまいと考えます。特に飼育されている動物の場合、そこにどんなに大きな愛情や信頼が存在しようと、飼育するものと、されるものの関係以上にも以下にもなり得ないからです。

 そして自然界に生きる動物は自然界のサイクルに従って生涯を送ります。そこで頼れるものは天性の実力のみ。それ以外に命を繫ぐ道はありません。人間だけです。人間だけが、ほかのすべての生物が遵守している循環からはずれ、人間にとって快適な環境を造りながら生命を繫いできたのです。

 そんな人間でも長い進化の過程を経て人類として地球上に誕生した当時は、自然界の厳しい掟に従い、いわばコンプライアンスからはみ出すことなく過ごしていたのでしょう。でも、ある時を境に人類は自然界の法令を遵守する道からはずれ、独自の道を歩み出してしまったのです。その時とは『火の保存』を可能にした時です。そして、人類は万物の霊長になりました。

 それまでの火は、自然界が生み出す火、たとえば火山の噴火によって降り注ぐ火の粉とか落雷による出火、又は乾燥や堆積物の腐敗などによって熾(おこ)る自然発火しかありませんでした。しかし人類は暖をとったり、食べ物を炙ったりすることで生活が快適になることを知り、火の活用が進むと同時に保存した火が消えてしまった場合、木をこすり合わせて火を鑚(き)り出すという再生術まで発見したのです。日本の文献では「古事記」上巻にこの火をつくる道具、すなわち火きり臼と火きり杵が初めて登場し、櫛(くし)八玉(やたま)神(のかみ)という料理人が、釣り上げられたばかりの魚をこの火で料理して天神の御子に献上した、とあります。

 次に登場した火をつくる道具は火打石です。人皇12代景行天皇の御子ヤマトタケルが東征に出発する際、叔母が緊急の際に使うようにと贈ってくれたもので、当時としては文明の利器でした。石と金属とを打ち合わせて出る火花が枯草にとぶとたちまち炎が立ち、草原一面火の海になったという逸話が「古事記」中巻にあります。

 この火打石はなんと、その後ずっと、明治になってマッチが実用化されるまで使われ続け、火熾しの主役の地位を保っていました。さらに西洋でも、燐が発見されてマッチが誕生するまで火打石が活躍していたといいますから、「古事記」で宝物のように扱われているのも肯けます。

 マッチからライター、さらには乾電池を媒介にしたものなど、着火道具の進歩はわずか100年の間に発展し続けてまいりました。その結果、照明や寒暖の差を縮める調度なども様々な発達を遂げ、人間の生活の快適度に貢献しております。そして人間は遂に、核による発電装置にまで辿り着きました。人間だけが成し遂げた偉業です。

 しかし人間は気がついています。自分たちの生活環境をより快適にするために自然を傷つけてきたことを。自然に逆らい、自然を見くびり、自然を征服できる気でいたことを。それにも拘わらず、自然なしでは瞬時も生きていられないことを。自然の可能性は無限であるということを。人間は知っているのです。

 祈りとは、おそらく自然の可能性に驚異と恐怖を覚えた最初の人間が、無意識のうちに編み出した自然への畏敬の表れでしょう。

 人智の及ばない無限の空間を仰いで人間はそこに、ある存在を設定し、――たとえば神――自らの罪を問い、許しを請い、望みを託し、仕合せを感謝します。そうすることで人間は自らの体の内側にぴったりと寄り添い、自らの思考や行動を操っている『心』が平穏になることを習得しました。

 そのうえで人間はさらに自然を破壊し続け、人間そのものもさらに進化し続けます。祈り、破壊、進化。人間の歴史はこのくり返し。自然との共存を続ける以上、人間が祈りから解放されることはないのでしょう。

 8月は祈りの月。6日、広島原爆投下。9日、長崎原爆投下。15日、敗戦記念日。そして1985年8月12日、JAL123便墜落事故も

 さらに連日の猛暑。地球は温暖化しているとか。日々地球上のどこかが異常気象に見舞われ、大雨やら旱魃やらの被害にあっているうえに世界の国々で起こる政情不安。祈りの対象は増えるばかりです。

 人間にとって祈りは空気と同じ。人間は祈りなしには生きられなくなっています。祈ることは人間であることの証明なのではないかと、年々その感を強くしております。

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8月の夕焼け(撮影:野根茂治) 

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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