竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第39回 天の配剤

 ルビーロマンと名付けられた葡萄があります。ブドウとかぶどうとか仮名ではなく、わざわざ漢字で書きたくなるほど見事な葡萄です。

 14年の研究を重ねて誕生した名前の通り宝石のような葡萄で、市場に出回るようになってから12年目の今年は、金沢市中央卸売市場の初売りで、一房120万円の値がついたそうです。一房に30粒といいますから一粒4万円! 一粒の直系は4センチ。巨峰のほぼ2倍の大きさで、20g以上。糖度は18度以上など、大変やかましい規定があるようです。しかも門外不出。苗木を入手できるのは石川県内の果樹栽培者に限るそうですから、まさに箱入り娘ですね。

 日本でブドウと言えば、子どもの頃から親しんできた地名は山梨県で、小学校6年生のとき遠足で行った甲府の印象は、昇仙峡の水晶とブドウでした。歴史的にも日本で最初のブドウは奈良時代、行基上人が現在の山梨県勝沼町に伝えたと言われておりますから、ブドウと言えば山梨という地位はそんなことにも由来しているのかもしれません。

 行基上人という方は15歳で出家していますが、ただ仏教の伝道者であったばかりでなく、灌漑土木工事の技術に精通していたらしく、橋を架けたり井戸を掘ったり、造船にも関わっていたと伝えられております。また、当時の僧侶の常として各地を行脚していたところからいろいろな温泉の発見もしています。さらにそこにブドウが加わりました。しかしブドウと言っても現在のように果物として扱われていたのではなく、当初は薬として存在していたようです。

 勝沼に現存する大善寺のご本尊、薬師如来様は左手に一房の葡萄を乗せていらっしゃるのも薬としての名残かもしれません。

 子どもの頃に親しんでいたブドウにはもう一つ、マスカット・オブ・アレキサンドリアがありました。産地は岡山と覚えています。昔の甲州ブドウはどちらかといえば甘みが薄かったのですが、マスカット・オブ・アレキサンドリアは極めて甘く、瑞々しいうえに粒も大きく、色もいわゆるブドウ色ではなくて爽やかなグリーンでした。マスクメロンと共に主に贈答品として流通していたのでしょう。普通のブドウのように一房ではなくて、二粒か三粒、ガラスのお皿に乗せて出されたように記憶しております。爽やかで芳醇な甘さと香りはその形容と共にブドウの女王と呼ばれるにふさわしい品格さえ備えておりました。

 その後、大きくて甘い巨峰が登場してきて、いつの間にか女王を見かけることが少なくなってまいりましたが、そこへルビーロマンの出現です。マスカット・オブ・アレキサンドリアが女王ならルビーロマンはまさしく宝石。ただ一粒でも光り輝いてその存在を明確にいたします。表面はやや赤みがかった薄紫色。皮が薄くて、するりとむけ、爪の先に色がつくようなことはありません。

 そのルビーロマン。なぜ石川県で穫れるようになったかと申しますと、どうやら土地が適していたらしいのです。ブドウに適した土地と申しましても一概には言えないらしいのですが、私が伺ったブドウ園のオーナーは、「砂利混じりの土地」と思いがけないことをおっしゃいました。

 かつて農園を縮小する必要に迫られ一部を手放すことになったとき、上質の土の畑から買い手がつき、生産性の見込みの立ちにくい土地は当然のことながら売れ残ってしまいました。それが砂利混じりの土地だったわけです。しばらくは途方に暮れるような日々が続いたということですが、なんとブドウ栽培には最適な土壌ということが分かり、ルビーロマンの栽培に踏み切ることができたそうです。

 フランス、ボルドーのシャトー・オー・ブリオンの生産地区グラーヴはまさしくこれに似た土壌で、そもそもグラーヴとは砂利質土壌という意味だと聞いたような気がいたします。

 砂利を含んだ土壌は水捌けがよく、ブドウの根が水源を探して砂利の隙間を土中深くのびてゆき、その結果、いろいろなミネラルを吸収して、あの芳醇な香りと甘みを蓄えるのでしょう。このブドウ園の、かつて売れ残ってしまった畑の土壌はまさにそれだったのです。

 面白いことに普通の石の色は概ね灰色をしておりますが、ここの石は土とほぼ同じ色をしていて小粒です。おそらく太古は海中であった所で、隆起して山になり、途方もなく長い時間を過してきたのでしょう。そして砂利だらけで荒れ地と思われていた畑は逆転して、宝石のような葡萄を産む肥沃な生産地になりました。

「創造の神様がくださった土壌ですね。まさに天の配剤です」

 私はこのとき昔のドイツ映画「会議は踊る」の主題歌『新しい酒の歌』の冒頭を思い浮かべていました。


Das muß ein stück vom Himmel sein, Wien und der Wein, Wien und der Wein!
天が与えたもうたひとひら それはウイーンとワイン


 農園のオーナー氏は乾いた土の中から茶色の小石を一粒拾い上げ、ぽつりとつぶやきました。

「そうやねえ」

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(左)ルビーロマン。今年は雨が多くて房の形のいいのが少ないそうです。味に変わりはないそうですが。
(右)きたむら農園にて。オーナー氏が土中から拾い上げた小石。土とほぼ同じ入りで、小粒です。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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