ホーム > Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 > 東北 > 1971年鉄道ファン事始め
1971年鉄道ファン事始め

 1971(昭和46)年は、中学1年から2年になる年でした。その頃の写真その他鉄道関連の収集品を整理してみると、その後にもないほどあちこちに出かけていることがわかりました。まさにこの年が「鉄道ファン」としての活動開始の年だったのです。

 1月は二俣線。初めて143M大垣行き夜行に乗りました。3月には関西に出かけて、京都付近のC57や西舞鶴でC58を撮影。4月には北海道に行き、鉄道の旅の楽しさを味わいました。
 5月には電化間近の奥羽本線と8620が活躍する 花輪線 竜ヶ森へ。8月には九州、10月に会津線磐越西線。11月には米坂線を訪れています。
 よく行ったものだと思います。ときどきその時の様子を断片的に思い出すことがありますが、それが同じ年だったと整理して気づきました。
 4月に北海道に行ったときの写真のいくつかは、Webにアップしました。ようやく整理ができるようになりました。先週末、5月にいった奥羽本線と 花輪線の写真をスキャンして、整理しました。覚えていることもあれば、忘れていることもたくさんありました。今では考えられませんが、36枚撮り2本分しか撮影していません。
 この撮影旅行で、特筆すべきは、往きも帰りも夜行だったということでしょう。しかも早朝上野に着いて、いったん家に帰ってから、学校に行きました。また前年に発売されたばかりの「ミニ周遊券」を使ったのも、この時が初めてでした。ミニ周遊券はその後1泊2泊の撮影旅行で威力を発揮します。syuuyuken.jpg
 往路は5月4日に急行「津軽1号」の自由席で上野から二ツ井まで乗車。何故二ツ井で撮影をすることにしたのかはわかりません。この付近は電化に際して線路の付け替えがあり、架線のないところで撮影ができるからというのがその理由かもしれません。
 二ツ井付近で撮影した写真を見て、笑ってしまいましたが、この頃から計画性がなく、歩いているうちに列車が来てしまって、慌てて撮影したという写真が何枚もあります。50歳を過ぎてもこの性格は修正されていないようです。しかもこの頃すでに近視が進行していたのに、視度補正レンズをカメラにつけていないため、ピントが合っていない。嗚呼。
 C61牽引の列車で大館に移動し、 花輪線の列車で 竜ヶ森へ。バブルの頃、 安比高原と改称した駅です。鉄道ファンにはよく知られた撮影地でした。ここで岩手山をバックに、喘ぎながら急坂を登ってくる8620の重連貨物列車を撮影しました。 hanawasen.jpgouu.jpg
 有名撮影地なのに誰もいないなと思っていました。今回写真をトリミングしてみると、私が構えていたよりも下の方に何人もの人たちがカメラを構えていたのが、写っていました。おそらくそのあたりが最近でいう「お立ち台」だったのでしょう。そんなことも調べないで出かけて行ったわけです。

 それにしても、奥羽本線の車窓、 花輪線の車窓から見た景色をまったく覚えていません。おそらくずっとウトウトしていたのだろうと思います。鉄道旅行とは「睡魔との戦い」でもあるというのも、この頃知ったことかもしれません。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年07月09日   東北   タグ : 奥羽本線, 花輪線

PAGE TOP