Web日本鉄道旅行地図帳では、写真家の荒川好夫さんにお借りした国鉄JRの入場券数千枚を、順次Web上にアップしています。その中には写真や絵がついた「記念入場券」も数多くあります。すでに北海道の駅にはかなりの数の「記念入場券」をアップしました。なかでも松前線千軒駅の記念入場券のには、とても気になる絵と「エゾキリシタン殉教の地」と書かれています。
昨日、「小心火車」さんからも同じ絵柄の切符が投稿されましたので、この機会に調べてみました。引用が多くなりますが、お付き合いください。
▲投稿:小心火車さん
まず駅ページの年表にもある通り、この駅は 碁盤坂という名前で開業しています。
昭和13年、 木古内とここ碁盤坂が松前線の最初の開業区間で、当時は福山線という線名でした。『北海道 駅名の起源』(札幌鉄道管理局、昭和37年)には、
「坂の上に自然石で碁盤のような石があったのでこの名がでたという。またむかし松前候がここに休憩して碁を打ったともいわれている」
とかなり怪しい説明が書かれています。
昭和47年に千軒に改称されます。改称の理由はわかりません。『北海道 駅名の起源』(国鉄北海道総局、昭和48年)には、
「付近に大千軒岳があり、むかし金鉱開発のため約千軒の人家があったところから、このように名づけられたものである」
とこちらは断定的です。
さて次の引用は『国鉄協力 全国版 各駅停車 5000駅総索引・観光案内版 '75』(毎日新聞社)からです。いまで言うなら別冊とかムックという種類の刊行物なのでしょうけど、奥付らしきものが見つかりません。「75」とあるので、昭和50年版ということでしょう。発行はその前年かもしれません。まだ詳細に見ていませんが、全国の駅の案内版の文字を活字にしてあるようで、今となってはたいへん貴重な資料です。
さっそく千軒駅の案内を引用してみます。
「大千軒岳 標高1072m 山ろくには金山番所跡 キリシタン殉教の地 広川原キャンプなどがあり 千軒峡の紅葉は美しい 西7km」。
少しずつ、キーワードが出てきました。引用を続けます。
「キリシタン教徒殉教の地 寛永16年(1639)の夏 幕府のキリシタン弾圧は蝦夷地にまでのび 千軒金山で働く者のうち信者がおり 男女10人が処刑された その死をいたみ106人の教徒が殉教の死をとげたといわれ 毎年巡礼ミサが行われる」。
金山番所跡と大千軒岳の山頂近くには、十字架が立っているそうです。キリシタン殉教というとどうしても九州を思い浮かべてしまいがちですが、津軽海峡を渡った蝦夷地にも弾圧を逃れようとしたキリシタンがいたのですね。一枚の記念入場券が、そんなことを教えてくれました。残念ながら千軒駅も松前線もなくなって四半世紀が経過しています。
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編集部 田中比呂之(ひろし)