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すでに手遅れ? 失った記憶とフィルムの実像

 いつかと思っているうちに時が過ぎる、という話は世の中に五万とあります。中学生から取り始めた鉄道写真をいつか整理しようと思ってから、20年以上の歳月が流れています。その間にデジタル技術が長足の進歩を遂げ、フィルムの画像を簡単にデジタル化することができるようになっています。20年遅れたことで、かえって整理がしやすくなったとも言えます。

 その代わり、記憶の退化とフィルムの劣化に直面することなりました。特に記憶の退化は、想像以上です。これまできっかけがあれば、大抵のことは思い出せると思い込んでいました。つまり撮影したフィルムさえあれば、中学生の頃に出かけた撮影旅行を蘇らせることができると思っていたのです。
 しかしそうではないことが、だんだんわかってきました。先日、奥羽本線と花輪線の撮影旅行のことをこのブログに書きましたが、写真を見ても、思い出せないことの方が多いことがわかりました。2週間ぐらい前の休日にスキャンした写真でも、場所の特定などに自信がなく、当時の時刻表をたよりに場所を特定、その時の行程をなんとか「つきとめる」ことができました。楽しい作業には違いありませんが、一方で記憶回復はすでに手遅れになっていることを確認する作業ともなっているのです。
 昭和46年10月に会津線の撮影に行きました。当時はまだ全通しておらず、只見方面も線名は会津線でした。最初のコマには、C11が牽引する客車列車が写っています。場所はおろか撮影したことさえ記憶になく、フイルムもかなり劣化しています。bange.jpg
 夜行急行「ばんだい」から会津若松発5時15分の列車に乗り、滝谷で下車しました。滝谷からは会津柳津へ向かって歩き始め、途中、C11牽引列車や郷戸貨物列車を撮影しましたが、その前に撮影した記憶がないのです。
 時刻表で辿ってみると、どうやら会津坂下で交換したC11牽引の会津若松行き422列車らしいのです。朝の通勤通学列車ですね。そのあとにはキハ20単行列車が写っています。これも時刻表を辿ることで、会津柳津で交換した仙台行き急行「いなわしろ1号」だとわかりました。yanaizu.jpg
 コマの最初からこのような記憶喪失に見舞われているので、ひとつの撮影旅行を整理するのも大変な労力です。それでも、と以下宣伝文句ではありますが、発表する場所があればこそ、面倒な確認作業も乗り越えることができます。当初考えていたよりも大変ではありますが、自分の辿ってきた趣味の道と向き合う時間は、楽しくもあり、貴重でもあります。
 すでに手遅れとはいえ、さらに記憶もフィルムも手遅れにならないうちに、夜な夜な粛々と整理をしたいと思っています。

 編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年07月25日   東北   タグ : 只見線

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