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筑肥線に残っていた木造駅舎 肥前長野駅

 7月は地味な路線ばかり訪ねることになりました。成田線成田~我孫子、東北本線黒磯~宝積寺、日光線、水戸線。そして今週は筑肥線を訪れました。『日本鉄道旅行地図帳』九州沖縄編(9月刊行予定)の取材で、『百駅停車』の筆者杉﨑さんと佐賀県内の駅を巡礼。駅の専門家に解説してもらいながらの旅は、取材とはいえ、とても楽しい旅となりました。

 筑肥線といっても、例えばその区間など、一呼吸ないと思い出せないないような地味な存在ではないかと思います。現在は姪浜~唐津~伊万里がこの線の区間ですが、かつては博多~東唐津~伊万里でした。東側の姪浜~唐津間は、電化されて福岡市営地下鉄と相互乗り入れをして、福岡郊外電車然としています。
 私が最初に筑肥線に乗車したのは昭和50年3月15日です。東唐津駅のスタンプを押した記録があるので、間違いないでしょう。3月10日に新幹線が博多まで開業したのを機に乗りに来ました。春休みではなく、試験休みだった記憶があります。
 唐津から伊万里までは取り立てて語るべき景色ではなかったという印象です。2回目の乗車は昭和62年か63年だと思いますが、やはり景色は印象に残っていません。ただし伊万里市内の書店で宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』を買ったことはよく覚えています。この本を読んだことで、その後全乗をめざすことになりました。ですからこの時の筑肥線の旅は、鉄道ファンとして大きな転換点だったことになります。ついでに記せば、全線完乗は平成7年1月16日、のと鉄道蛸島駅でした。

 さて今回の取材では筑肥線を伊万里側からひとつひとつ訪ねました。それで「発見」したのがこの肥前長野駅です。木造駅舎に敏感になるのは、それだけ年齢を重ねたということかもしれませんが、よくぞ残っていたという感じの駅舎でした。
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 駅前や駅周辺、駅舎内とも掃除が行き届いていました。杉﨑さんによれば、有名になる前の肥薩線嘉例川駅も、地元の人たちによってきちんと清掃されていたそうです。もっともこの肥前長野駅をネットで検索すると、以前訪ねた人たちのレポートがいくつかアップされていますが、粗大ゴミの集積場のようになっていた時期もあるようです。
 現在も駅舎内には古ソファーがあって、かなりの違和感を放っていましたが、それ以外は掃除が行き届いている感じでした。張り紙もほとんどなく、時刻表や運賃表もありません。注意書きもありません。それらはホーム上の待合室にあり、この駅舎はすでに「駅」の一員ではなくなっています。hizennagano6.jpg
 ホーム側にまわって中を覗くと、洗面台や小上がりのような小さな部屋もあり、なぜかミシンもありました。外には井戸もあり、無人化前の駅員の日常が見えるようでした。

 昭和10年3月1日北九州鉄道の駅として開業し、昭和12年に国有化されています。この駅舎が北九州鉄道のものか、国有化後の駅舎かはわかりません。唐津~伊万里間で唯一残った木造駅舎の命は、そう長くはないのではないかと思いました。

 編集部 田中比呂之(ひろし)  

2013年08月01日   九州・沖縄

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