来週の日曜日は9月1日、関東大震災が起こった日です。大正12年9月1日から今年は90年目になります。2年前の東日本大震災は、巨大地震にもかかわらず、地震によって発生した津波による死傷者の方が圧倒的に多数でした。関東大震災では、やはり地震によって発生した火災によって多くの人命が失われました。では鉄道はどうだったのでしょうか。
昨年7月、内田宗治氏が執筆された『関東大震災と鉄道』を刊行しました。これは前年に起きた東日本大震災での鉄道被害を取材した際に、関東大震災では鉄道はどんな被害があったのだろうか、という疑問から出発した企画です。まず当時、日本の鉄道を管轄していた鉄道省が何らかの報告書なりを出していないかを調べました。すぐに見つかったのが『震害調査書』でした。
結局、この調査書を基に取材調査を進めていくことで、『関東大震災と鉄道』ができあがりました。どちらかというと土木系の報告書ですが、地震被害をこれでもかというほど、微に入り細を穿った調査をしています。それでも調査者に不満だったようです。冒頭の「緒言」の一部を引用します。
然れども震火蒼忙、生活必需品の欠乏に苦しむ当時に在りては、交通の回復焦眉の急を要せしを以て、当局者は鋭意これが復旧に努めて亦他を顧るの遑なく、ために被害の調査に着手するに当たりては既に当時の実況を知るに由なきものあり、又区域の広大なるため時機を逸せず一斉に精査することを得ざりしは甚遺憾なりとす。
調査を徹底しようとすれば、「現場保存」が望ましいでしょうが、まさか壊れたまま復旧しないなどありえないことですね。この「緒言」を書いた人は完璧主義の人だったのか、それとも謙遜が過ぎるのか。90年後にこれを読んだ私たちは、この徹底した報告書に驚きつつ、感謝しました。
B5判、本文83ページ、付表36枚、写真497枚、付図117枚。写真の枚数も凄い数ですが、付表、付図の枚数は、1枚1枚の詳細さから考えると気が遠くなります。製作人数、日数にもよりますが、編集者に死人が出ても不思議はない作業量でしょう。
さらに写真は震災直後の撮影が多く、誰がどうやって撮影したか気になりました。鉄道が停まったから車で行こうという時代ではありません。箱根登山鉄道や現御殿場線の被害写真などどうやってアクセスしたのでしょう。「震災現場と写真師」という1章を考えましたが、手がかりすらつかめませんでした。
膨大な付図の中から、1図だけ紹介してみます。実はこれは当初意味不明でした。「付図第二 国有鉄道 給水槽台及び掘抜井戸被害図表」という図です。この図が2番目に載っているのです。
震災の際には水の確保は急務に違いないですが、鉄道員のための水? と思ってしまいました。もちろんそうではなく、蒸気機関車を走らせるための水だったのです。今でいえば、電気や軽油がないということに等しいですね。90年前の常識がわからなくなりつつあります。
さて今週の「悠悠自鉄」は関東大震災関連の記事を掲載します。後半は『関東大震災と鉄道』の執筆者内田宗治氏のあらたな取材レポートも予定しています。
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編集部 田中比呂之(ひろし)