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「わが国鉄時代」高崎駅24時間

 小学生から高校生まで、夏休み最後の日をのんびりと過ごした記憶がありません。たいてい半泣きで宿題を片付けていました。読書感想文は、何年か続けて有島武郎『一房の葡萄』を書いた覚えがあります。夏休みの宿題ではありませんが、40年前の夏休みの思い出をひとつご紹介したいと思います。一連の写真を見ているうちに、これが「わが国鉄時代」ということかと思いました。

 中学時代は鉄道研究会に所属していました。文化系クラブ活動の最大の目標は文化祭です。通っていた学校の文化祭は秋にありました。そこで発表するテーマは夏休み前に決めないと間に合いません。昭和47年度は、高崎駅のホームに24時間居て、そこに出入りする列車を撮影することをテーマにしました。決定の経緯はまったく覚えていませんが、こういう定点観測的なドキュメントが流行っていたのではないかと思います。
007.jpg008-1.jpg▲(左):70系と115系。(右):165系(もしくは169系)と80系。
 今思えば、こんなことをよく高崎駅が許可してくれたと思います。昭和47年7月26日の早朝に高崎駅に到着、ここから24時間高崎駅に滞在しました。早朝の記憶はないのですが、この日1枚目の写真を見ると、ホームの蛍光灯がついています。何番ホームか、やはり記憶が曖昧ですが、ベンチに陣取って部員数人でそれこそ1日中、構内で写真を撮っていました。
 この時の写真を見ると、自分がどんな時代に育ったのかがわかります。高崎駅には新旧さまざまな車両が出入りしていました。高崎上越両毛信越、八高の各路線の車両がここに集まるのですから、それも当然ですね。電車が好きなので、181系、165系、169系、70系、80系、それに形式がわかりませんが、いわゆる旧国が頻繁に出入りする高崎駅にわくわくしたものです。それに各駅停車に使われている車両は、事前情報がほとんどなく、目の前に現れて初めて知るような状態でした。
008.jpg013.jpg▲(左):181系と70系(クハ68)(右):八高線キハ30。
017-1.jpg019.jpg▲(左):キハ81「いなほ」(右):キハ58「鳥海」。
 サロ改造車の車内で居眠りもしました。お昼前後には、群れから抜け出して松井田付近に撮影にも行きました。それほど長く撮影していた記憶はありませんが、貨物列車、客車列車、夏運転の「そよかぜ」、169系急行「妙高」などを撮影しています。
015.jpg017.jpg▲(左):高崎〜横川区間列車。松井田付近。(右):181系「そよかぜ」。

 まあそれにしても、どの写真もピリッとしていません。雨模様ということではなく、単純にピントが合っていないのです。前にもどこかで触れましたが、視力が落ちているのに、眼鏡もかけず、カメラに視度補正レンズも装着していませんでした。これではピントが合うはずがありません。
 なんともったいないことをしたのかと思います。「わが国鉄時代はピント外れ」というタイトルの方がよかったかもしれません。それでも多感な時代にこんな車両を見てきたという証が確かに写っています。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年09月05日   関東

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