東日本大震災以来、大船渡線鹿折唐桑駅の前に鎮座していた第18共徳丸が解体されることになりました。一方で津波の威力を伝える東日本大震災における「原爆ドーム」だと勝手に思っていました。ただし、毎日目にすることになる住民の中には「もう見たくない」と思う人々がいてもおかしくはありません。
私たちの東日本大震災の取材は、三陸地方の北側から南下する形で進んできました。三陸鉄道北リアス線に始まり、3日間をかけて被災駅全駅を取材撮影することを目標にしました。実際には何駅か近づくことができなかった駅が残りました。平成23年のコールデンウィークのことです。
3日目の夕方に辿り着いたのが、大船渡線鹿折唐桑駅でした。3日間、津波で破壊された建造物ばかりを見てきました。その中でもこの駅は、瓦礫の集積度では群を抜いていました。しかも一帯は火事にも見舞われたようでした。
まず駅舎に突っ込んだ車の数。7台の車が瓦礫と一緒に駅舎に突っ込んでいました。駅舎とホーム回りを合わせるといったい何台の車が流れ着いたのか、数えきれませんでした。助けを求めて駅に集まってきてしまったかのようです。駅前広場には燃えた乗用車と消防車の無惨な姿がありました。▲写真はすべて2011.5.3撮影(画像は一部加工してあります)
第18共徳丸は駅前広場と道路の境目付近に「座礁」しています。後から知りましたが、ここから港までは直線距離で750mぐらいだということでした。駅から海は見えません。車だけでなく、港にあった船まで駅前に来てしまいました。周辺を見渡せば、地獄絵とはこういう風景のことかと思いました。
船の巨体を仰ぎ見ながら、この巨体が少なくとも数百メートルに渡って、いろいろなものを壊しながら、ここに流れ着いたことを想像して、ぞっとしました。しかもいつ横倒しになるかもわからない。
その後二度、ここを訪ねています。もちろん瓦礫は片付けられ、駅舎もありません。来月には第18共徳丸も姿を消します。大船渡線はまだ再開の目処すらたっていません。
Webでは写真を中心に、記録をしっかりと残していきたいと思っています。
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編集部 田中比呂之(ひろし)