若戸大橋の衝撃

「ななつ星」の報道公開で小倉まで来たついでに、北九州でどこかの路線を撮影して行こうと思いました。小倉駅近くのドトール・コーヒーでブログの原稿を書いた後、隣駅の西小倉で下車。駅舎を撮影して、戸畑に向かいました。折尾あたりまで一駅ずつ撮影しようと思ったのですが、夕方で暗くなってきたので諦めました。

 戸畑に降りるのは40年ぶりです。小学校の同級生が転校して、戸畑に住んでいたので、その友人の家をやはり小学校の同級生2人と訪ねたのです。中学2年生でした。その時撮影した写真には、若戸大橋が写っています。戸畑駅の海側には貨物線が一段低いところを走っていて、それは今も変わっていませんでした。
w-1.jpg▲貨物線を走る9600と若戸大橋
 初めて見る若戸大橋に感動したものです。たしか当時「東洋一の吊り橋」でした。社会科の教科書にも出ていたし、絵本でもよく紹介されていた記憶があります。もちろん九州は初めてでしたし、九州に行ったら若戸大橋は見なければと思っていたはずです。それを戸畑駅のホームから見ることができたのです。この日は、友達と太宰府に行き、そのあと志賀島にも行っています。志賀島は金印の出土したところです。遊びに行っているのに、修学旅行のようですね。
w-2.jpgw-3.jpg▲戸畑駅駅スタンプ 昭和46年7月28日
▶現在のスタンプには若戸大橋がない 平成25年9月13日
 さて21世紀に戻って、50代のおっさんになった私は再び戸畑駅ホームにたたずみ、電車を何本か撮影しました。小倉方面行きはダイヤが乱れていました。特急が1本運休になっています。その時は何かの事情でダイヤが乱れたのだろうとしか思いませんでしたが、その原因が「ななつ星」と知ったのは、ホテルに着いてからでした。「ななつ星」は小倉工場から車庫のある博多の先、竹下まで回送中に折尾でトラブルがあったそうです。お披露目の日に、トラブルですからマスコミの餌食になってしまいました。
 戸畑からバスに乗って若松に向かいました。このバスは若戸大橋を渡ります。40年ぶりに洞海湾を渡り、若松へ。運賃は260円です。この金額で若戸大橋からの眺めを楽しめるのですね。翌朝はきれいに整備された洞海湾沿いの道を歩いてまた若戸大橋を見に行きました。何度見ても特別感があります。
w-4.jpg▲現在の若戸大橋
 今週火曜日の夜、同僚と夕食をしているときに、「40年ぶりに若戸大橋を渡ってきたよ」と多少意味を含ませて話を切り出したのですが、「田中さん、橋にも興味があるんですか?」という同僚の反応。「?」。この席には、40代、30代、20代の同僚がいましたが、「若戸大橋、知ってる?」と恐る恐る問うと誰も知りません。考えてみると、東洋一でも、日本一でもない橋のことなど、地元でもない限り、知る機会はありません。
 いろいろな場面で「年を重ねる」ということの具体例に遭遇するこの頃ですが、「ななつ星」が脱線してもこれほど衝撃を受けなかったでしょう。

  編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年09月19日   九州・沖縄

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