『日本地理大系』というシリーズが昭和の初めに改造社から出版されています。私の手元にその「北海道・樺太編」があります。昭和5年2月20日発行、518ページでほとんどのページに写真または地図・図表が入っています。特に写真の多さは目を見張ります。
解説や写真の質も高く、取材編集費、原稿料、印刷製本代などどれも「一流の値段」だったのではないか思います。こういう本の編集に一度は関りたかったと思う編集者は私ひとりではないでしょう。このシリーズは、見栄っ張りの金持ちの応接間にズラリと並んでいたのかもしれません。
▲『日本鉄道旅行地図帳』北海道 廃線地図より
「北海道・樺太編」には鉄道関連の写真もあり、順次Webでご紹介していくことにします。ここでは新田革帯馬車軌道を運営していた新田ベニヤ工場の写真を取り上げます。この馬車鉄道は根室本線の止若(現幕別)から南西に伸びていた軌道で、大正時代の数年間、運営されていたようです。途中にはインクラインもありました。と、簡単に書きましたが、この軌道については『十勝の森林鉄道』(森林舎)という著書で小林實さんが詳細に記述しておられます。地図で存在はわかっていても、実像がわからず、その姿を求めて小林さんの執念の取材が描かれています。
この工場は新田ベニヤ製造所という会社が、大正8年に建てた工場です。現在はニッタクスという会社です。ホームページには工場設立のことが簡単に記されています。
「当時、革製品の需要増大のため、本州では槲、ノブが減少し、タンニンの原材料の入手が難しくなっていた。北海道十勝には槲樹林が多いことに着目、ここに日本初のタンニン固形エキス製造のための十勝製渋工場を設立。槲(カシワ)を伐採する一方、将来のために植林を開始した。このタンニンを採るための原料として使われた槲は、当初は樹皮しか使われていなかった。」
▲『日本地理大系』北海道・樺太編より
『十勝の森林鉄道』にはインクラインや馬鉄に乗った人々の写真が出ています。鉄道ファンとしてはこの写真を見ただけでも満足でしたが、その工場の写真が「北海道・樺太編」に出ていたので、紹介したくなったのです。大正時代にこれだけの巨大な工場がこの地にあったとは想像もしていませんでした。そもそもWebを始めたきっかけは、地図と写真・図版の融合を図ることですから、こういう意外な発見はほっておけません。
地図を見ているだけでも想像を楽しむことができますが、こうして写真が出てくるとまた違った楽しみにも発展しそうです。
因みにこの会社の製品は、小田急のロマンスカーや新幹線N700系グリーン車の内装などにも使われているそうです。
編集部 田中比呂之(ひろし)