昨日に続き『日本地理大系 北海道・樺太編』に掲載されている鉄道系の写真を紹介します。その前に昨日ご紹介しました「新田ベニア工場」は「新田ベニヤ工場」の間違いでした。読者の方からご指摘をいただきました。ご愛読、ご指摘ありがとうございます。
石狩川河口付近の地図をご覧いただきます。札沼線の石狩当別駅から北に向かって伸びている路線があります。これは当別町営軌道で、北海道特有の簡易軌道ですね。この軌道の存在は、地図帳を編集するまで知りませんでした。路線と駅名を地図に入れるのに精一杯だったので、どんな車両が存在したのかも知りませんでした。
▲『日本鉄道旅行地図帳』北海道 廃線地図より
いまネットで検索してみると廃線跡を追った写真がいくつもあって、魅力的な橋脚の列などもあるようですね。しかし車両の写真は1枚だけしか確認できませんでした。昭和24年6月開通。29年9月の洞爺丸台風の被害で休止、正式には昭和33年に廃止され、車両の一部は幌延町営軌道に譲渡されているようですね。編集部がお世話になっている星良助さんが、休止中の当別駅を撮影されていました。昭和32年のことです。たいへん珍しい写真なので掲載させていただきます。
▲撮影:星良助氏
さて『日本地理大系』です。地図をご覧いただくと、当別町営軌道の西側に駅がない赤い線があります。これが「日本石油専用軌道」です。当別町営軌道と同じぐらい気になる線です。『日本地理大系』のページを丹念に捲っていると、なんとこの鉄道の写真が出ていました。この付近には今でも石油が湧き出ている所があるようですね。やはりネットで検索すると油井の遺構などを訪ねたレポートがいくつも見つかりました。
グーグルの地図を見ると、この辺りはゴルフ場がたくさんありますね。石油は明治20年頃から採油していたそうで、その後アメリカスタンダード石油系の会社が採油をしたこともあり、その後日本石油が後を継いだということです。採掘した石油は、石狩川を越えて軽川(手稲)まで運んでいました。
▲『日本地理大系』北海道・樺太編より
写真は八ノ沢という場所だそうです。軌道はスイッチバックしていたのでしょうか。ガソリンカーが写っています。これは石油を運んだのではなく、資材運搬用です。手前に写っている車両はなかなか興味深い車両ですが、このあたりは湯口さんや名取さんに聞いてみないと、迂闊なことは言えませんね。『トワイライトゾーン』ですでに詳しく語られている可能性だってあります。
私が知るかぎり、この日本石油専用軌道の写真はこの1枚だけです。それでもこの写真のおかげで、石狩川河口付近でかつて石油採掘が行われていたということを知ることができました。
編集部 田中比呂之(ひろし)