ホーム > Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 > 北海道 > 三菱大夕張鉄道遠幌駅
三菱大夕張鉄道遠幌駅

 どうしても気になるので、「特急ビヤダル」さんが投稿された三菱大夕張鉄道遠幌駅を調べてみました。石炭を運搬する私鉄鉄道の駅にしては立派すぎます。しかもデザインも洒落ていますね。出入口の扉も大きい。駅の看板を掲げていなければ、駅舎とは気づかないかもしれません。

mt-1.jpg▲投稿:特急ビヤダルさん
 RM LIBRARY「三菱鉱業大夕張鉄道」(奥山道紀・赤城英昭)を久しぶりに引っ張り出して、ページをめくりました。あらためてしっかりした編集に感謝しました。そう、知りたいことがすぐに見つかったからです。昭和40年頃の写真も載っています。
 開業は昭和15年9月1日、遠幌加別貨物駅として開業、昭和17年8月1日に客扱いを開始して、同時に遠幌と改称しています。開業当時は石炭ではなく木材の積み出しをしていたようです。戦後昭和23年に北炭遠幌炭鉱が開坑して、北炭の施設が駅および周辺にできていきます。木材と石炭の積み出しで賑わったと前掲書に書かれています。
mt-2.jpg▲『日本鉄道旅行地図帳』北海道 廃線地図より
 昭和23年6月18日にこの駅舎が完成しました。石炭産業の勢いなのでしょう。戦後のこの時期にこのモダンな駅舎が建てられたのですが、この駅舎は北炭、つまり北海道炭礦汽船が寄贈した建物でした。三菱の鉄道にライバル?の会社が駅舎を寄贈するということがあったのですね。夕張鉄道の親会社北炭の勢いを感じます。北炭の勢力圏はこの遠幌までだったそうです。
 そんなことはもちろん知らず、大夕張鉄道の起点国鉄清水沢駅を訪れたのは昭和47年3月、中学生でした。国鉄の9600型の前面に「NO7」とか番号を振っているのを見たくて訪れたのです。残念ながら時間がなく大夕張鉄道に乗れず、その後も訪れる機会もありませんでした。なので遠幌駅も見ていません。
mt-3.jpg▲清水沢付近で撮影
 この大きな駅舎の中はどうなっていたのでしょう。倉庫のような役割を担っていたのでしょうか。それとも大勢の駅員が働けるスペースが確保されていたのでしょうか。興味は尽きません。
 大夕張鉄道は昭和62年7月に廃止され、遠幌駅周辺も草むらになっているそうです。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年10月23日   北海道   タグ : 三菱大夕張鉄道

PAGE TOP