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変わる景色と変わらない構造物

 最近読み始めた小野田滋さんの著書『東京鉄道遺産』(講談社ブルーバックス)の冒頭に次のような文章があって、なるほどと思いました。ちょっと長くなりますが、引用させていただきます。

----しばしば「そんな古い構造物を使っていて大丈夫なのか?」と質問されるが、すでに幾多の災厄をくぐり抜けてきた構造物なので筋金入りである。構造物の寿命は、「何年経ったから」ではなく、「現在も使用に耐えられるかどうか」で判断されるので、的確な検査や修繕が行われていれば、半永久的に使用し続けることができる。

 素人は古い高架橋や駅舎などが古いとつい「大丈夫か」と思いがちですが、なるほど「現在でも使用に耐えられるかどうか」が判断基準というのは、しごく常識的な話ですね。

 このあとは牽強付会気味ですが、先日秋葉原駅に投稿した写真について触れたいと思います。昭和45年12月22日に秋葉原の総武緩行線ホーム御茶ノ水寄りでキハ58急行「犬吠」と木更津行きの101系快速の写真を撮影しました。なぜここで撮影したのか、その動機はまったく思い出せません。
 写真には43年前の国鉄の姿が写っています。そして日本を代表する電気街秋葉原のビル群も写っています。言うまでもなく鉄道写真は、定点観測的な記録となることがしばしばあります。先日同じ場所からの撮影を試みました。ホーム先端には近づけなくなっているので、全く同じというわけにはいきません。総武緩行線の車両も、すでに209系500番台とE231系に変わって久しい。時々E257系500番台房総特急がやってきます。
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 昭和45年の写真には渡り線が写っていますが、今はありません。そして高架線路囲むビルも変わっています。しかしよく見ると変わっていないビルもあるようです。昭和45年の写真の画面右側に写っている新徳電気。ナショナルカラーテレビの大きな看板が屋上にあり、垂れ幕には「シントクカラーテレビまつり」とありますね。たしかわが家はまだ白黒テレビでした。同じ場所から旧新徳電気のビルが見にくいので、御茶ノ水方面ホームから撮影をしましたが、いまはSEGAになっていますね。新徳電気は平成5年に倒産したそうです。ただしビルは43年前と変わっていないようです。その後方に石丸電気の看板が見えますが、今は看板から文字が消えています。
 では線路の左側を見てみましょう。見にくいですが、屋根の上に小野電業社の看板が見えます。「オノデン坊や」のオノデンですね。こちらは今も健在です。窓の配置をよく見ると装飾は変われど40年前と同じビルですね。その横の狭い空間には怪しいビルができています。その後ろの現在山吹色のビルもよく見ると40年前のビルと同じです。
 秋葉原駅は近年変貌著しいのですが、基本となる高架やホーム、屋根などは変わっていません。そして周辺にも半世紀近く変わっていないビルがあります。秋葉原といえば、東京の中でもそのイメージを大きく変えた印象がありますが、変わらないと構造物もまた多いのだと、自分が撮影した写真からいろいろ考えてしまいました。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年10月30日   東京 / 関東

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