しつこいようですが、今日も鶴見臨港鉄道の沿線案内です。旧仮名遣いでびっしり書かれた文章は、老眼にはかなり読みづらいのですが、前々から気になっていたところなどをご紹介します。
沿線案内の冒頭には「鶴見臨港電車案内」という見出しが赤太ゴシック文字で掲げられています。まず私には地元といってもいい場所で、しかも知っているようで知らない鶴見臨港地区の歴史が、名文で簡潔に書かれています。以下現代文に「翻訳」しながら、引用します。
−−鶴見工業地帯は浅野翁晩年の偉業であり近代日本工業の代表的創作であります。およそ港湾は軍港、商港、漁港、避難港に区別されていましたが、最近に至り、工業港というものが、世界各方面に姿を見せる様になりました。浅野翁の独創になる鶴見埋立地はまさに工業港の先駆であります。
鶴見港には産業合理化、大量生産の理想を遺憾なく実現している模範的工場が集まり、近海遠洋からの出船入船が国内、国外の貨物を集散し、日々集めらるる多量の原料を忽ちにして生活必需の製品に化し、鉄道に、船に、それを需要地に集散する日々の活動の有様は、近代工業のパノラマであり、工場のスカイラインと機械のジャズ(小気味よいリズムの意か)とは、近代人を以て任ずる人々の見逃してはならぬ場所であります。
この引用だけでもこの沿線の輪郭が見えてきますね。近代人は見逃してはならぬ場所とは大言壮語、いや気宇壮大ですね。当時も、そして今も日本を代表する企業の事業所があります。鉄道は戦中に国鉄になり、現在はJR東日本に引き継がれていますが、例えば鶴見駅は当時の駅舎のまま電車が発着しています。
私がこの駅舎(というより駅ビル)に気づいたのは最近のことです。モダンな建物ですね。鶴見線の電車は、この建物から出て行きます。
鶴見駅の案内を引用します。
----当駅付近高架線下を利用し、瀟洒たる各種売店が並んで商店街をなしています。(中略)高架線下は安い料金で貸し出すことになっておりまして、わずかな費用で耐震、耐火しかも浄化装置付の立派な商店ができます。この貸付事務は当駅で扱っています。現在利用されている向きはガレージ、喫茶店カフェー、生花類、菓子、寿司、日本料理等であり続々発展しつつあります。
高架下は現在もお店が並んでいます。otome-c56さんがその様子の写真を投稿されています。この「沿線案内」が発行された昭和10年当時から続いているお店があるかどうかは、残念ながらまだ取材していませんが、平成が25年余り経過した現在も、昭和の香りを漂わせていることが、この写真からわかります。
▲投稿:otome-c56さん
鉄道施設は町の定点観測になるという、分かりやすい事例かもしれません。
編集部 田中比呂之(ひろし)