当Webの編集にもご協力いただいている杉﨑行恭さんが、東武鉄道の木造駅の写真をアップされました。残念ながらここに紹介する駅舎は、すべて新駅舎になってしまいました。貴重な記録写真ですので、簡単な解説を杉﨑さんにお願いしました。(編集部)
ここにご紹介する写真は、ほとんどが10年前ごろ撮ったものです。当時は、東武鉄道の日光線を中心に開業以来と思われる木造駅舎が多数見られ、旅の妙味が尽きない鉄道でした。その日光線で言えば合戦場駅や楡木駅、北鹿沼駅にほぼ同じ形式の民家風駅舎が並んでいました。
かつての東武鉄道は貨物輸送も盛んに行っていた歴史があり、この木造駅舎群にも手小荷物を受け渡す窓口の跡がみられ、小さいながらも地域の物流を担った風格が漂っていました。それでも、国鉄幹線のような長大な貨物列車を想定していない私鉄らしく、全体に駅舎はコンパクトで、後年の文化住宅に通じる機能的で居心地のよいサイズが特徴でした。
構内のレイアウトはホームの末端から少し離れたところに駅舎がおかれ、改札口から構内踏切を渡って傾斜のついたホームの端から客がのぼっていくスタイルがほとんどでした。このような『ホーム末端駅舎』は、信号が自動化される以前の運転士や車掌と駅員の連絡の便を考えた形式のようです。
▲左:小泉線篠塚 右:伊勢崎線世良田
▲左:日光線合戦場 右:日光線楡木
▲左:日光線樅山 右:日光線北鹿沼
東武鉄道では1970年代にローカル駅の無人化を進め、切符の販売も駅周辺の商店が行う簡易委託化が進みました。そして次の段階として老朽駅舎の改築を2000年代に一気に進めました。ここにある写真の中でも2006年篠塚駅、2007年に世良田駅、合戦場駅、楡木駅、樅山駅、北鹿沼駅が取り壊され、2008年には剛志駅、2009年は田島駅がそれぞれ素っ気ない簡易な駅に変わっています。
▲左:伊勢崎線剛志 右:佐野線田島
駅舎好きとしては〝大虐殺〟とも感じる愛すべき木造駅舎の連続改築でした。そんななかで下小代駅舎だけは駅を愛する地元有志によって、曳家によって移築保存されています。ここに行くと、旧駅舎が新駅舎と向い合せ に建っている面白い風景が見られます。
▲左:日光線下小代 右:移設された下小代駅舎、手前が新駅舎