しつこくて恐縮ですが、昨日の駅印ブームのことを今日も触れます。昨日書き忘れたことがありました。大したことではありません。
昨日引用しました『旅』編集主幹千葉豊氏の巻頭言をまた引用します。昨日の部分の少し先です。
----旅を趣味化する種々の方法が出来ることは勿論異議はないのみでなく、一層の発展を祈るものであるが、只一時の流行に追随することに専念して将来記念として保存する価値のないものは改善したいのである。此の点で満鉄の如く一定の標準に依って作られたるものは結構であるが、内地各駅のスタンプを見ると遺憾ながら、図案が幼稚で、郵便局のそれと比較して甚だ遜色のあるのが多いと思う......
「郵便局のそれ」とは同時期に広まった風景印のこと。こちらは本省である逓信省の目が通っていたようですが、駅スタンプは駅に任されていたようです。満鉄にも「一定の基準」があったことがこの文章からわかります。『旅』は風景印の紹介にも力を入れていました。いずれ駅スタンプと風景印を比較してみたいと思います。「保存する価値のない」「図案が幼稚」なスタンプを具体的に挙げてあるとわかりやすいのですが、さすがにそれは示されていません。
この千葉氏の巻頭言は『旅』昭和7年3月号に掲載されました。同じ年の6月号に、この千葉氏の言葉に異論(というほどでもないですが)を書いた人がいました。
「旅行記念スタンプその後」というタイトルで、近藤義長という人が一文を発表しています。どういう人かわかりませんが、文中に「私達関係者」「私達鉄道屋」という表現が出てきます。また引用してみます。
----先般当誌上において前主幹千葉氏は、その製作上につき幾多の高見を持たれ、貴重な教えを吐露せられてをられたが、真面目なものを作ることにはもとより希望する吾々も、その反面出来不出来はあるかも知れないが、兎に角斯した趣旨によって生まれ出たものは一律に愛し、讃めたたえてやるべきではあるまいか。
たかが駅スタンプと言ったら怒られるかもしれませんが、こういう反論が出るほど駅スタンプブームが過熱しつつあったと見るべきでしょうか。「前主幹」とあるので、奥付を見てみると、編集主幹の名前が変わっていました。「前主幹」のままだったら、この一文は掲載されなかったかも、などと別の興味も湧いてきます。
この近藤さんという方はおそらく国有鉄道関係者なのでしょう、先の一文を読み進めると、駅スタンプが私設鉄道でほとんど普及していないのは如何なるわけだろうかと首をかしげ、「もっともっと目覚めてほしいものである」とまで書かれています。
それでも私鉄にも少しはあったようで、同じ号で名岐鉄道犬山橋駅と三重鉄道湯ノ山駅のスタンプが紹介されいます。今日はこの2つのスタンプをご紹介します。
▲「旅」昭和7年6月号より
追伸 「小心火車」様、札幌市営地下鉄の投稿フォームに会社名が入力できない不備があるとのご指摘、ありがとうございました。すぐに対処いたします。
編集部 田中比呂之(ひろし)