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東京の電車交通案内

 編集部の蔵書に『省線及市内外電車交通案内』(東京鉄道局)という冊子があります。縦150mm、横75mm、厚さ10mmで、値段がついていないので乗客に配っていたものかもしれません。発行は昭和3年8月20日です。

 前々からこの本をここで紹介したいと思っていたのですが、どう紹介してよいのか、正直わかりませんでした。巻頭にある運転系統図だけでもいろいろ語ることがありますので、少しずつでも紹介していきたいと思います。
 まず「省線電車運転系統図」(昭和3年6月現在)を見ると、当時の「国電区間」がわかります。右ページの「通勤時とは大凡午前6時から9時迄、午後4時から6時迄」というのは、現在とかなり生活サイクルが違います。それでもこの昭和初期に東京圏の国鉄通勤路線の骨格ができていたんですね。
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 この当時はまだ京浜東北線という名前はなく、東京〜桜木町間は京浜線と呼ばれていたようですが、東京〜赤羽間はなんと呼んでいたでしょう。現在の京 浜東北線は赤羽~蒲田間と上野~桜木町に運転を分けて、乗客の多い上野~蒲田間で本数を確保していたのでしょう。現在でも早朝深夜に赤羽発着、上野発着の電車があるのは、その名残でしょうか。
 中央線には現在高円寺折り返しの電車はありませんが、平常時は東京~高円寺間が最短区間です。山手線はすでに環状運転をしていて、駅名を見ると西日暮里以外の駅が揃っています。
 この系統図の次のページには各線の運転間隔が掲載されていて、山手線の循環が、通勤時4分、平常時8分となっています。また京浜線と山手線が同一線路上を走る品川〜田端間は、通勤時2分、平常時4分となっていて、編成両数は違いますが、運転間隔だけ見れば現在とそれほど変わらないかも知れません。
 さらに次のページには「電車の連結車数」が区間ごとに数字が掲載されていて、京浜線の桜木町~上野間と蒲田~赤羽間の通勤時の編成は2等1両、3等6両の7両編成だったようです。すでに7両編成の電車でなければ、通勤輸送ができなかったのですね。もちろんこれは通勤時の編成です。
「電車の連結車数」につづいて「電車の分割、併合に就いて」という項目があり、蒲田、東神奈川、荻窪で分割併合することが書かれています。例えば蒲田では「下りのとき、前部3両を切離す」というふうに具体的に示されています。
 興味は尽きません。分割併合の次は、「電車の終着駅名札」という見出しが出ています。ちょっと長くなりますが、引用します。「電車には左の如き特別な終着駅名札を、車体の両側窓の上に掲げている。之は同一区間を頻繁に往復運転し、旦終端駅で折返し発車時間が短いから、其の都度掛け替えることが困難のためである。而して記入駅名は山手線循環以外は総て上段は上り、下段は下りの方向を示すものである」。
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 この表記、不慣れな駅で急いでいる時には、ありがたくない表記ですね。山陽本線でこれに似た表記がありますね。まだ使っているかどうかわかりませんが、笠岡だったかで、岡山に向かうのか、三原に向かうのか迷ったことがありました。
 今日の最後にイメージ画像として絵葉書を1枚紹介しておきます。これはいずれ「古宮由雄コレクション」としてアップする予定の1枚です。真ん中に2等車が挟まっているので、京浜線電車でしょうか。
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編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年12月16日   東京

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