京急大師線のこと

 京急大師線は特に馴染みのある路線ではありませんが、それでも2年に1度ぐらいは乗っています。特に用事があるわけではありません。何かのついでに乗ってみたくなる路線です。

20131218_01.JPG 子供の頃、母とよく川崎大師に行った記憶があります。かなりの回数になるのではないかと思いますが、母が何故川崎大師に行ったのか今となってはわかりません。母は90歳を前にして元気いっぱいなのですが、質問が原因で眠れなくなっては困るので、聞けません。
 近くに住んでいたわけではなく、東横線日吉からバスで10分ぐらいの下田町というところに住んでいました。私が小学生の頃です。歩いて15分ぐらいのところに井田病院という周辺では大きめの病院があり、その前から川崎駅行きの臨港バスが出ていました。このバスに乗って川崎駅まで行き、その先の記憶が定かではないのですが、もう一度バスに乗り換えて川崎大師まで行ったのかも知れません。電車に乗った記憶がまったくないのです。
 大師前の飴を切るリズミカルな包丁の音は今でも記憶に残っています。そんな幼児体験と京急大師線がつながっているのかどうか、まったくわかりませんが、時々乗ってみたくなるのです。 20131218_02.JPG
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 今年は5月に乗りました。県立川崎図書館に行った帰りに、港町まで歩き、そこからひと駅ずつ降りてみました。港町からの乗降は初めてです。実はこの駅が元コロムビア前だとは知りませんでした。真新しい駅の前には高層マンションが建っていました。改札を入ると、美空ひばりの大きな写真があり、ここが日本のレコード発祥の地だということを説明するパネルもあります。壁にレコードやレコードジャケットも飾られています。ホームの壁には、「港町十三番地」が五線譜に描かれていました。ちょっと長居をしてしまいました。
 次は鈴木町です。この駅は知っています。味の素の創業者の名字がついている駅ですね。戦中に鈴木町に改称していますが、その前はそのまま「味の素前」でした。味の素の鈴木三郎助氏は戦後、京急の社長・会長になりました。この駅もリニューアルされて小綺麗になっていました。ラ・メールさんが投稿された旧駅舎と並べてみます。
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 味の素の敷地は隣駅の川崎大師駅付近まであります。鉄道ファンにはこの味の素の敷地から伸びていた線路が3線軌道で小島新田まで続いていたことで有名ですね。「日光牛車鉄道」さんが川崎大師駅付近にある味の素と京浜急行の境界標の写真を投稿されているので、そちらもご覧ください。
 鈴木町から川崎大師までは歩きました。駅前の雰囲気は子供の頃の記憶とそれほど変わっていないかも知れないと思いました。大師線は日本で3番目にできた電気軌道です。そのことを標す石碑が駅横にあります。
 今日はその石碑をご紹介しておきます。
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編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年12月18日   関東   タグ : 京急大師線, 京浜急行

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