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戦前の切符コレクション

 鉄道ポスターコレクションでご高名な中村俊一朗さんから、戦前の切符をお借りしてきました。中村さんは戦前の鉄道ポスターの蒐集では国内では屈指のコレクターです。博物館などの企画展ではしばしば中村さんのコレクションが出品されています。

 その中村さんから戦前の切符をお借りしてきました。ポスターの他、パンフレットや絵葉書などもかなり蒐集されておられるようですが、この切符のコレクションは友人から譲られたもので、この友人はコレクターではなく自分で使用して手元に残った切符を捨てずにとっておいたものだそうです。
 いずれポスターも当サイトでご紹介できたらと考えておりますが、これからご紹介する切符も戦前の鉄道事情を知る上で貴重な資料ともなるものです。整理ができ次第、順次アップしていく予定です。
 ここでは一部をご紹介したいと思います。手当たり次第というわけにもいきませんから、廃止になった駅や改称した駅関連の切符をいくつかご紹介することにします。
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 まず東急池上線の切符から。正確には池上電鉄ですね。五反田から諏訪分新奥沢までの乗車券。諏訪分新奥沢というのは池上電鉄新奥沢線にあった2つの駅です。昭和3年10月5日から昭和10年10月30日までの7年間しか営業していなかった路線です。中央線の国分寺を目ざしていたそうです。奥沢の高級住宅地に「新奥沢駅跡」の石碑を見たことがあります。
 池上線の乗車券をもう一枚。桐ヶ谷から大崎広小路五反田まえの乗車券。桐ヶ谷は昭和2年8月28日、つまり池上電鉄開業時にできた駅でした。しかも五反田付近の高架工事がこの開業に間に合わず、1ヶ月余り桐ヶ谷が始終点でした。昭和20年7月25日に休止になっています。
 この切符の日付は昭和3年6月23日です。実は同じ切符があり翌日の日付です。桐ヶ谷は現在でも葬儀場がありますが、2日続けて桐ヶ谷からの乗車券ということは、ひょっとすると切符の元所有者の方の関係者にご不幸があったのかもしれません。
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 「貯水池巡り・」の文字の右側がちぎられています。ちぎられた部分には何が書かれていたのでしょう。発駅は紛らわしい駅名が3つ並んでいます。上からいきましょう。「村山貯水池前」は現在の西武園線の途中から分かれ、村山貯水池まで伸びていた支線の終点で、昭和5年4月5日開業で、昭和16年に「狭山公園」に改称、昭和26年廃止時には「村山貯水池」という駅名でした。旧西武鉄道です。
 中段の「村山貯水池際」は駅履歴からは現在の狭山線西武球場前の前身ということになります。600mほど現在より貯水池寄りに駅があったようです。昭和8年3月1日に「村山公園」から改称されてこの駅名になっています。当時は武蔵野鉄道です。
 下段、「村山貯水池」は多摩湖線西武遊園地の前身です。こちらは現駅よりも400mほど手前にあったようですね。昭和11年12月30日の開業です。ここは多摩湖鉄道の駅です。切符のちぎられた部分、縦書きの「西武」の上に「多摩湖」の文字があった可能性があります。違う会社の駅が発駅として印刷されているんですね、この切符。
 それにしてもこの紛らわしい駅名が問題になることはなかったのでしょうか。そちらの方がとても気になります。あと6枚、説明なしで並べてみます。
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編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年12月26日   関東

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