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被災地の家並みは戻らない

 鉄道趣味の特性と言えばいいのだろうと思いますが、鉄道があるところにはたいていファンが訪ねていって写真を撮ったり、切符を買ったり、訪問先の鉄道員と親しくなったりします。しかも現役の鉄道に限らず、なくなった鉄道の跡まで歩いて記録もします。

 車両や駅施設しか撮影しないファンもいますが、それでも期せずして背景の建物や街並みも写ります。そうした蓄積は日本の風景の変化も捉えることになります。ただしそれを一覧できるような「装置」はいまのところ存在はしません。このサイトはそれを目ざしておりますが、今日はその話ではありません。
 先週投稿された「df200」さんの2枚の写真を何度も見てしまいました。その2枚は山田線の路線ページに投稿されています。先に投稿されたのは、山田線折笠付近を走る三陸鉄道の初代レトロ車両とJRのキハ58が連結して走っている写真です。坂を下って左カーブする格好良い写真ですね。
 私が目を奪われたのは、その珍しい編成だけではなく、その背景に写っている家並みです。堤防の向こうにびっしりと家が並んでいます。私が昨年訪れた時にはこのあたりに家はありませんでした。基礎は残っていましたが、こんなにたくさんの家が建っていたなど想像もできませんでした。この住宅街と川を挟んだ手前側に織笠駅があります。震災直後の取材では会社のスタッフが駅の撮影を試みましたが、どうしても駅を発見できませんでした。
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▲(左)投稿:df200さん
 同じ角度の写真はありませんが、織笠駅から水門の操作室(?)の方を向いて撮影をした写真です。築堤はほとんどなくなっています。織笠駅もホームが半分以上なくなっていました。
 もう一枚は大槌川を渡る三陸鉄道の車両です。やはり背景に大槌の家並みが写っています。この写真を見てやはり落ち着かない気持ちになりました。過去に山田線には乗ったことがありますが、景色をしっかり見ていたわけではありませんから、折笠にしても大槌にしても家並みを覚えているわけではありません。取材に行って瓦礫と化した町しか見ていないに等しいのです。
 ですからこのような写真を見ると、気持ちをたわしで擦られるような感じがします。失ったものの大きさに、どうにもできないもどかしさを痛感してしまいます。ここも同じ角度の写真はありませんが、橋脚だけが残った大槌川の向こうには家がほとんどありません。
20140114_03.jpg 20140114_04.jpg ▲(左)投稿:df200さん
 撮影者は私が感じたことを意図した訳ではありません。たまたま鉄道写真の背景が、震災によって私の中でクローズアップされてしまったのです。例えば年路面電車の絵葉書や写真は、町の定点観測として取り上げられます。日本の経年変化を捉えやすい鉄道写真ですが、被災地の鉄道写真は経年の変化だけではなく、震災の劇的変化も捉える貴重な写真にもなるということがよくわかりました。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2014年01月14日   東北   タグ : 山田線

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