今年4月に三陸鉄道が北リアス線、南リアス線ともに完全復旧を果たします。これに合わせて現在三陸鉄道の復旧までの3年間をまとめる本を編集しています。2月末刊行予定です。
平成23年のゴールデンウィークに初めて取材に訪れた時の衝撃は今も忘れません。コンクリート高架橋が無惨にも破壊されることなど想像もつかないことでした。
それでも三陸鉄道は5日目には一部で運転を開始、その後少しずつ開業区間を延ばし、3年目の今年4月全線復旧します。会社存亡の危機から全線復旧に漕ぎ着けるには、大変な力が必要でした。本の刊行が近づきましたら、またお知らせをさせていただきます。
三陸鉄道の次に取材に訪れたのは、JR山田線でした。陸中山田駅周辺はご存知の通り、津波の後、火事になり街は焼失、駅も焼け落ちました。この姿には涙が出ました。大槌、鵜住居と衝撃の災害現場が続き、何度もへこたれそうになりました。
さらに大船渡線大船渡、細浦、小友、陸前高田と取材を続け、気仙沼に着いたときは、へとへとでした。この時の私の取材はここまでで、さらに南の気仙沼線は編集部のスタッフがすでに取材をしていました。
その取材時の写真がここ数日気仙沼線の駅ページにアップされた写真です。私はこの半年後に気仙沼線を訪れました。震災から半年が経過しても傷跡はまだまだ生々しいところも数多く残っていました。
JRはその後、大船渡線と気仙沼線でBRT化を進め、現在ではこの2線はほぼ全線BRT化されました。山田線は壊れたままです。震災後の3年の月日で三陸鉄道とJRとはその後の足取りは対照的です。
改めて取材時の写真を見ると、JR3線の津波被害の深刻さがよく分かります。気仙沼線は前谷地~気仙沼間72.8キロ。このうち陸前横山~南気仙沼間64キロで陸前横山と本吉以外の駅は津波によって破壊または流失しています。どの駅も写真をご覧いただくとおわかりだと思いますが、凄まじい破壊です。とりわけ陸前戸倉は場所も特定ができないほどだったそうです。
▲(左上)陸前戸倉(右上)志津川
(左下)大谷海岸(右下)松岩
山田線と大船渡線は戦前の開通で、津波対策は技術的にも十分でなかったのだと思いますが、気仙沼線は戦後の開通にもかかわらず、三陸鉄道のように津波を考慮に入れた設計にはなっていなかったようです。三陸鉄道の被害は局部的でしたが、気仙沼線は全面的でした。もちろん地形が違うので単純比較はできません。
三陸鉄道とJRの2つの会社がとった震災後の方針は、今後この地域にどのような貢献をするのか、しないのか、鉄道ファンのひとりとして忘れないようにしたいと思っています。
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編集部 田中比呂之(ひろし)