常磐線は日暮里~岩沼間の路線で、明治30年に全通しています。私はC62が「ゆうづる」を牽引した時代には間に合っていませんので、末続や広野付近の撮影地には行ったことはありません。
東京近郊区間を除けば、常磐線に初めて乗ったのはおそらく中学2年の春休みに北海道に出かけた帰りではないかと思います。その時は生意気にも青森から電車寝台583系「ゆうづる」に乗り、食堂車で朝食まで食べています。
それはともかく、その後も何度も常磐線には乗車していますが、水戸や高萩以外に降りた記憶がありませんでした。10年ほど前、「長距離鈍行」マイブームがあり、改正のたびにランキングを出して、時にはわざわざ乗りに行ったこともあります。一時上野~原ノ町間の鈍行がそのランキング上位に入ったことがありました。上野18時過ぎ、原ノ町着は23時を過ぎていたのではないかと思いますが、何度も計画したのについに乗りませんでした。
その時乗車していれば、夜とはいえ現在休止区間の久ノ浜~原ノ町間の夜を楽しめたかも知れません。残念ながらここを訪れることになったのは、東日本大震災後の4月半ばで、取材のために知人の運転する車でいわきから広野まで震災の爪痕を取材しました。それはこのWebとは別の「東日本大震災の記録 写真サイト」や「日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録」などにまとめましたので、ここでは触れません。
この時の取材で、草野、久ノ浜、末続、広野の各駅を訪れました。末続を除く3駅の印象が似ていると取材中になんとなく思っていました。さらに「KINU」さんがアップされた木戸、竜田の写真を見て「これは似たもの駅舎」ではないかと確信して、写真を並べてみたくなったのです。
5駅を並べてみると、竜田だけ玄関上の屋根の形状が三角ですね。草野と久ノ浜は明治30年、広野、木戸は明治31年、竜田は明治42年にそれぞれ開業しています。もちろん駅舎は開業当時のものではないようです。
『日本の駅』(鉄道ジャーナル)によると、久ノ浜は昭和13年に一部改築、木戸は昭和11年に改築(全部)、竜田は昭和13年に改築で、草野と広野は「不明」となっています。「不明」は駅がそのように答えたということです。末続はかなり古い駅舎に見えますが、戦後の開業で、素人目にも上記の駅と形が違うのがわかります。参考までに末続も並べておきます。
▲▲▲(左)草野(右)久ノ浜
▲▲(左)末続(右)広野
▲投稿:KINUさん(左)木戸(右)竜田
【関連ページ】
東日本大震災の記録 写真サイト
日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録
編集部 田中比呂之(ひろし)