私が12歳から30歳まで生活していた実家は、東急田園都市線の藤が丘が最寄りです。田園都市線と言っても、東京方向は大井町につながっていて、上野から長距離列車に乗る時は大井町で京浜東北線に乗り換えていました。渋谷へは自由が丘で乗り換えです。新玉川線が開通して、長津田~渋谷間に直通快速ができてようやく渋谷が近く感じられるようになりました。
新横浜から新幹線に乗るときは、長津田で乗り換えて横浜線に乗りました。横浜や桜木町方面に行くのも同ルートです。ですから横浜線にはとても親しみがあります。
たしか昭和47年頃に103系が7両編成で走り始めました。主流は今では旧国と言われている63系や72系だったと思います。ときどき新聞輸送のためか、東神奈川寄りにクモニ13(?)がついていることがありました。京浜東北線にもまだ103系に混ざって63系などが走っていた時代ですから、小机~八王子間が単線の横浜線はこんなものだろうと思っていました。
横浜線に入線した103系はなぜか山手線と同色の緑で、なぜ緑なんだろうと思った記憶があります。横浜線は京浜東北線の子分なのだから、当然青でしょう。しばらくすると青い車両が混入している編成を見かけるようになりました。車両のやり繰りの都合なのでしょうけど、田舎の通勤路線だからいいだろうという感じがありありでした。緑と青の路線カラーは、この混結編成から派生したものだと疑っています。
それに前面には「横浜線」と大書された看板もぶら下げ、その姿は罰ゲームの子供を見るようでかわいそうでした。
次に205系が入線しました。これも山手線からのお下がりでした。一部新製車もあったようです。8両化するときに6扉車を挟み込んでちょっと面白い編成になりました。模型は発売後すぐに買いました。菊名と長津田を通過する変な「快速」が走ったり、特急「はまかいじ」が走ったりといろいろなことがあり、現在に至っています。
▲同好が大勢集まった町田駅
▲お披露目が終わって東神奈川へ戻るE223系
かなり急ぎ足でまとめてしまいましたが、2日(日)に今月16日から営業運転を始めるE233系を見てきました。横浜線にもようやく新製車が導入されるということで、どうしても見たくなり、町田まで行ってきました。例によってたくさんの同好が集まってまともに写真も撮れない状態でした。
205系をこのE233系に全編成置き換えるというのは、上記のような変遷を見てきた者には、隔世の感があります。新しきものは幹線や花形路線で活躍し、そのあと地方へ行って余生を送る。これが鉄道車両の習いだったはずですが、ついに横浜線に新製E233系が走り始めます。
幹線を外れると、旧国が余生を送っているという時代は「今は昔」ということでしょうか。
追伸1 「さとたか」さま、都営上野懸垂線についての貴重なご教示ありがとうございました。
追伸2 「キハ58」さま、「日本トランスオーシャン別所」さん、ようこそ。写真・コレクション、楽しみにしております。
編集部 田中比呂之(ひろし)