東日本大震災で被災された方々にあらためてお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。平成26年3月11日。
3年前の3月11日、私は会社にいました。鉄道地図シリーズの第2弾『日本鉄道旅行歴史地図帳』11号中国四国を校了して、最後の号である12号やその先に予定していた「乗りつぶしノート」の準備に取りかかっていました。15時に今尾恵介さんと杉崎行恭さんが来社され、打ち合わせの予定でした。
14時46分だったかは自分では確認しておりませんが、地震が起きたときは自分のデスク前に立っていました。大きな横揺れが続き、これはついに首都圏大地震が来た、と思いました。ちょうど横に本棚があり、本が飛び出すかも知れないと思い、柱の前に移動してまもなく、本棚から一斉に本が崩れ落ちてきました。
同僚たちの机の上からかも本や資料やいろいろなものが、床に散乱して足の踏み場もなくなるほどでした。誰かがテレビをつけると、震源地が関東地方ではないとわかり、これは大変な地震だということがわかりました。あれだけの揺れの震源地が、関東地方ではないということは、震源地はどれだけの揺れがあったのでしょう。やがてテレビは東北地方の放送局からの映像を流し始めました。
私は15時に約束通り来社された今尾さん、杉崎さんと打ち合わせを始めましたが、余震が断続的に続き打ち合わせどころではなくなり、1時間ほどで打ち切りました。
編集部に戻ると、同僚たちがテレビを見つめていました。テレビには津波の映像が流れていました。会社は業務を中断し、帰宅できる者から帰宅して良いということになりました。
私は電車が動き出したら帰ろうと決めて、会社にいました。地震発生から8時間以上が経過した23時頃、地下鉄東西線や半蔵門線が動き出したという情報が入り、会社を23時半頃に出て、東西線、半蔵門線、東横線といつもの通勤路で家に帰りました。家についたのは午前2時頃でした。
翌日は自宅で1日中津波の映像を見ていました。同時に自分にできることはないかと思っていました。結局、自分は鉄道に詳しいのだから、鉄道の被害の記録を残そうと考え、ひとつは鉄道地図帳を使って徹底した記録にする、もうひとつはこの大震災に遭遇した鉄道員の記録をドキュメントとして残そう、と決めました。
残念ながらドキュメントの方は結実しませんでしたが、地図帳の方は「東日本大震災の記録」として8月に刊行されました。また同時に写真の記録として「東日本大震災の記録 写真サイト」で写真を路線や駅ごとにまとめました。これは紙の本では掲載しきれない大量の写真を整理したWebサイトです。
また「東日本大震災の記録」の取材などでお世話になった三陸鉄道の冨手淳さんに、被災した鉄道会社からの視点で本の執筆をお願いし、先月末『線路はつながった 三陸鉄道 復興の始発駅』を刊行しました。
三陸鉄道は来月4月、復旧工事が終了して全線開通しますが、これは終わりではなく、新たなスタートを切るということです。おそらく大震災前より経営環境は厳しくなっているでしょう。
同時に私の大震災関連の仕事もこれで終わるわけではなく、これからも自分のできることをやっていきたいと思っています。
【関連ページ】
東日本大震災の記録 写真サイト
YouTube日本鉄道旅行地図帳チャンネル(震災取材動画を公開中)
編集部 田中比呂之(ひろし)