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仙北軽便鉄道の珍しい絵葉書を発掘 三宅俊彦

 今日は、鉄道コレクターとして趣味界では知らない人はいない三宅俊彦さんに、これまでほとんど紹介されることがなかった宮城県の仙北軽便鉄道の絵葉書をご紹介いただきます。

 仙北軽便鉄道は、東北本線小牛田で分岐するJR東日本・石巻線の前身である。この鉄道は、「軽便鉄道法」(明治43年施行)による鉄道として、東北地方では明治44年に馬車鉄道から転換した釜石軽便鉄道に次ぐ古い鉄道である。
 明治44年6月設立で東北本線瀬峰で接続した仙北鉄道と、同年7月免許請願の仙北軽便鉄道は共に仙台市の実業家荒井泰治が設立した会社。両社は軌間762ミリの軽便鉄道で一般の旅客・貨物の輸送にあたる姉妹会社であった。紛らわしいが別会社である。
 仙北軽便鉄道は、明治44年8月23日に申請が認可され、大正元年10月28日、小牛田~石巻間が開通した。翌大正2年4月20日、陸羽線開業に伴い、小牛田駅は南へ約1.1km移転している。この付近を含む国土地理院5万分1「涌谷」は最も古い図版の測量が大正元年で、小牛田駅が移転後のものしかないのは残念である。
 石巻港は江戸時代から北上川流域の米を中心とする物資の集散地・商港として繁栄していたが、明治20年代以降、日本鉄道(国有後:東北本線)が開通し北上するにつれて、その機能を失っていた。しかし、買収される大正8年まで同社の営業状態は良好であった。
 明治25(1892)年施行の「鉄道敷設法」には「石ノ巻ヨリ小牛田ヲ経テ山形県下舟形ニ至ル」という本州横断の重要幹線の計画があり、政府は大正8年4月1日同社を買収した。翌大正9年5月15日、軌間を762ミリから1067ミリに改軌が完了した。
 このように仙北軽便鉄道の開通から国有化まで10年足らずで標準的な国鉄線になったためであろうが、これまで、写真や絵葉書が出版物に紹介されたことがほとんどない「幻の鉄道」の一つである。昨年その仙北軽便鉄道の絵葉書を入手したのでここで紹介したい。
 入手したのは5枚で、これがすべてかどうかは不明である。5枚の表面(宛名面)は同一で、3分1位置に仕切り線(波線)が引かれ、その上に「仙北軽便鉄道株式会社」の社名が明記されている。表面の下部には「仙台大町筒野絵葉書書店発行」と記されている。
 裏面は沿線に因んだものと思われる風物が着色デザインされており、エンボス(箔押し)加工しており手の込んだ印刷になっている。5枚すべて社紋を中心に「仙北軽便鉄道開通紀念 大正元年拾月廿七日 小牛田石巻間」の文字を記したスタンプが押されている。ただし鉄道の資料として見た場合、写真はモノクロで小さく、詳細を知るには十分ではない。5枚の絵葉書は次のとおりである。

①隧道
②石巻停車場、荒井社長及び石巻線路畧圖
③北上川鹿又堤防及び運河橋梁圖
④列車運轉圖
⑤石巻市街全景及び金華山黄金山神社

 以下に①から④までを拡大してご紹介する。
①隧道は石巻線唯一の隧道である涌谷~前谷地間の鳥谷坂隧道。
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 ③運河橋梁圖と④列車運轉圖には蒸気機関車が写っている。この機関車は、イギリスのAvonside(エーボンサイド)社製である。この会社の製品は我が国には全部で13両のみで、そのうち軽便用が仙北軽便のCタンクと西尾鉄道(現名古屋鉄道の一部)のBタンク各4両で極めて少ない珍品である。
 珍しいメーカーから輸入したのは荒井社長が貿易商社サミユル・サミユル商会の台湾支店長を9年間努めており、その後塩水港製糖の社長を歴任していたことが関係するらしい。この荒井は中江兆民の薫陶を受け、新聞社から日銀を経て実業家になり、台湾から帰国後は貴族院議員にもなった人物である。
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 仙北軽便鉄道のNo.1~3は1911年、No.4は1913年製である。この機関車の特徴はボイラーの上に蒸気のドームがなく、ボイラー内部から出したようである。外側式台枠で、運転室の後部は開放形である。買収後はケ190形ケ190~ケ193と命名される。
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 ④列車運轉圖には客車も写っている。客車は、買収後の形式で前2両がケホ350形(ケホハ350~ケホハ357)、次の2両がケホ200形(ケホロハ200~ケホロハ202)窓の下の帯の見える部分が客室、次の3両もケホ350形、最後部はケホ800形(ケホユニ800・ケホユニ801)と推定される。
 国有鉄道になって1年余で改軌され、車両は不要となるが、ちょうど沖縄県営鉄道が延長工事中で、機関車4両(ケ190~ケ193)、客車13両、貨車41両が譲渡された。機関車は国有鉄道小倉工場で改造して沖縄県営鉄道No.11~14になった。昭和19年10月の沖縄大砲撃で県営鉄道は破壊され、機関車も運命をともにした。

〔参考文献〕
・日本国有鉄道「日本国有鉄道百年史」第6巻 1972年9月
・臼井茂信「日本機関車形式図集成2」誠文堂新光社、1969年9月
・臼井茂信「機関車の系譜図1」交友社、1972年9月
・臼井茂信「国鉄狭軌軽便線3」仙北軽便鉄道の買収 「鉄道ファン」No.264(1983年4月号)
・柴田東吾「国鉄軽便客車について」鉄道友の会客車気動車研究会「食堂車」No.403(2008年5月)

 正寸の絵葉書は、当サイトのJR石巻線のページにしばらくアップします。ただし「指定席(会員限定)」です。(編集部)

2014年03月13日   東北   タグ : 仙北軽便鉄道

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