南武線の暗号

 近頃、休日はもっぱらご近所の鉄道を楽しんでします。先日は南武線の駅を乗ったり降りたりしてきました。

 このブログを読んでいただいている皆さんには説明するまでもないことですが、南武線奥多摩の石灰を鶴見・川崎の臨港工業地帯に運ぶために敷かれた鉄道で、もともと南武鉄道という私鉄でした。昭和4年に全通、昭和19年買収国有化されています。
 私は、中学高校の約6年間、武蔵溝ノ口から登戸まで通学で使っていました。ホームで電車を待っているとよくED16牽引の石灰列車が目の前を通過していきました。昭和40年代後半のことです。
 40年も前のことですから、南武線が大きく変わっているのは当たり前です。が、武蔵溝ノ口登戸の近代化ぶりには、なぜか心理的抵抗があります。武蔵溝ノ口の駅舎は、相当ボロかったのに。駅前アーケードもかなり年季が入っていました。
 それでも近代化していない駅がいくつも残っていました。古い駅舎ばかり追いかけて恐縮ですが、お付き合いください。まず向河原をご紹介します。この駅は開業時の昭和2年は、今と同じ向河原でしたが、昭和16年に日本電気前と改称し、昭和19年の国有化のときに向河原に再改称されています。今も駅裏にNECの巨大なビルが聳えていますし、NEC社員しか使えない改札口も立川方面ホームにあります。
 駅舎は川崎方面ホーム側にあります。改札口はちょっと薄暗い感じでしたが、見上げるとステンドグラスが嵌まっていました。何か曰くがあるのでしょうか。木造の三角屋根です。庇と屋根の間に明かり採りがあり、ここにステンドグラスが嵌まっていました。外側からはわかりにくいですが。
20140319_01.jpg 20140319_02.jpg ▲向河原の駅舎とステンドグラス
 ちゃんとした写真をご紹介できないのが残念ですが、平間の駅舎は不思議な印象でした。尻手の駅舎を小ぶりにした感じです。駅舎前にキリンビバレッジのトラックが横付けして、構内の自販機に商品を運んでいるところでした。しばらく周辺をウロウロして時間をつぶしましたが、作業が終わらずキリンビバレッジごと撮影しました、1枚だけ。(このあと、稲田堤でもこのトラックに撮影を邪魔されました)。
20140319_03.jpg 20140319_04.jpg ▲(左)トラックが横付けしていた平間(右)津田山
 向河原平間は南武鉄道時代の駅舎です。津田山も一部改装しているようですが、南武鉄道時代の建物です。この建物は私の中学時代から変わっていません。降りる機会はありませんでしたが、電車の窓からよく見ていました。(そういえば美人女学生がこの駅から毎朝乗ってきたことを思い出しました)。駅舎は今回初めて写真に収めました。電車はもちろん旧型国電でした。
 さて、今日のタイトルにした「暗号」です。矢向尻手の駅舎の写真をご覧ください。両駅とも南武鉄道開業時の駅ですが、矢向は戦後昭和23年に改築(建て直し)されています。駅舎の情報は、『日本の駅』(鉄道ジャーナル)を参考にしています。
20140319_05.jpg ▲矢向駅舎 向かって右側に謎の山型がある
20140319_06.jpg ▲尻手駅駅舎 手前に矢向と同じ形の山型がある
 この2つの駅舎にある「山」のようなデザインは何を意味しているのでしょうか。この日は先に矢向を撮影、その後尻手に行ってファインダーの覗いている時に気づきました。因みに矢向駅前の楠木は戦争でも焼け残った木だそうです。
 答えがあるのかどうかさえ、現時点ではわかりませんが、取材をしてみようかと思っています。
 なおもし南武線駅舎巡りをお考えの方に、こっそりお教えしますが、立川方面から川崎方面に向かっていくことをお薦めします。南武線の駅舎はほとんど川崎方面ホームにあります。跨線橋ダイエット、と言いたくなるほど疲れました。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2014年03月19日   関東   タグ : 南武線

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