4月5日の南リアス線に続いて、6日には北リアス線が全線復旧します。北リアス線は海から離れた区間が多く、東日本大震災の津波による被害は部分的でした。もちろん部分的とは言っても、島越駅付近のように壊滅的な被害区間もあり、復旧までには時間も費用もかかっています。
『線路はつながった』(小社刊)で著者の冨手さんが綴られていますが、北リアス線の被害が部分的であったために、震災直後から列車を動かせる区間があったことが、結局三陸鉄道を救うことになりました。
震災直後の3月16日には久慈~陸中野田間で、20日には宮古~田老間で運転を再開しました。鉄道は動いてこそ鉄道、もし三陸鉄道が列車を運行しなかったら、支援も「それなり」だったかもしれません。もちろん「復興の象徴」と言われることはなかったでしょう。
昨日の南リアス線のところでも触れましたが、昭和59年4月に開業した三陸鉄道は今年30周年を迎え、奇しくも震災からの全線復旧の時期と重なりました。今日は北リアス線開業当時の写真やコレクションを会員の皆様がアップした画像からご紹介いたします。
▲橋本玲子コレクションより
最初は絵葉書ではありませんが、三陸鉄道の昭和59年正月の年賀状です。「日本初の第三セクター」とあります。国鉄赤字ローカル線が廃止されていく中で、国鉄から線路を受け継ぎ、自治体や企業が出資して、地元の足を確保しようという試みです。三陸鉄道の場合は、建設途中の工事線も引き継ぎました。皆様ご存知の通り、出足好調で初年度から黒字を計上、全国の国鉄赤字ローカル線が次々と第三セクター鉄道に生まれ変わるきっかけともなりました。
▲提供:三陸鉄道
開業式の写真を見ると、三陸鉄道本社社屋兼宮古駅駅舎もホームも現在と変わっていないようですね。ホームの写真中央付近には地元山田町出身の鈴木善幸元首相の姿も見えます。三陸鉄道の開業は、明治以来の地元の悲願であった三陸縦貫鉄道の完成でもありました。
切符、駅スタンプ、郵便局風景印、葉書など様々な記念品が送り出されたようです。Webにアップされているのは、そのごくごく一部ですが、ご紹介します。まず郵便局の風景印です。風景印と駅スタンプの歴史はほぼ同じ歳月を刻んでいることは、前にこのブログで触れました。風景印にはしばしば鉄道の絵柄も取り上げられるようです。ここでは風景印を拡大して表示します。
▲橋本玲子コレクションより
その他、シール、スタンプ帳なども用意されました。記念切符の形は珍しくありませんが、紙ではなくセルロイドのような素材が使われていました。印刷部分以外は透明です。記念入場券とありますが、駅名が書いていないのも珍しいかも知れませんね。
▲橋本玲子コレクションより
4月6日、北リアス線復活開業の日は島越駅を見てきたいと思っております。Webの島越駅・北リアス線のページに順次アップしていきますので、どうぞご覧ください。
追伸
書店様へ 4月6日(日)朝日新聞書評欄に『線路はつながった』(冨手淳著)の書評が掲載されます。ご配慮のほどよろしくお願い致します。
編集部 田中比呂之(ひろし)