この目で見るまでは、というのは大げさですが、島越駅に行って線路がつながっているのを見てきました。3年前の瓦礫の谷から、感動の駅に変わっていました。
そして田野畑村の人々が全員ここにいるのかと思うほど、たくさんの人が集まっていました(島越駅は田野畑村にあります)。みんな笑顔で喜んでいるようでした。ホームは立錐の余地がないほど人であふれ、列車から降りた私たちを迎えてくれました。
▲島越のホームは人であふれていた
▲記念列車を待つ人たち
私たちが乗った列車の約30分後に記念列車が来ます。記念列車を撮影するため、駅横の斜面でカメラを構えました。津波で破壊された高架橋は巨大な築堤に変わっていました。その築堤の横には、線路が見渡せるようにこれも巨大なお立ち台足場が組まれていて、カメラを構えるメディアや鉄道ファンの姿が見えます。
▲ゆっくりと島越駅に近づく記念列車
▲(左)大勢の人々に迎えられ島越に到着 (右)車内でも手を振っている
記念列車はゆっくりとトンネル出て、島越駅に近づいてきます。先頭は新造車の36−Z1形こたつ列車です。今日はクエート大使他VIPが大勢乗車。築堤の下では子供たちが大漁旗を振っています。列車はすぐに発車していきました。
30分ほどして田野畑方面からこれも臨時団体列車が到着しました。私は旧駅前広場にいました。新しい駅を遠目に見ていると、乗務員らしき人が降りてホームで何か挨拶をしています。そのあと拡声器を口にあて、駅の方を見ている私たちに向かって「皆さん、おめでとうございます」と叫んでいます。
「?」。三陸鉄道の乗務員が口にするにはおかしな挨拶です。望遠レンズで覗いてみると、そこには杉本哲太、荒川良々のふたりが手を振っていました。「あまちゃん」で好演技をしたお二人が臨時団体列車を仕立ててやってきたのです。こちらの二人の方がVIPの方々よりも地元の人々には親しみがあるでしょう。後刻二人は宮古駅前の式典会場で餅撒きに参加されていました。
▲手を振る杉本哲太、荒川良々
列車は走り出し、旧駅の前を通り過ぎました。旧駅前にある宮沢賢治の碑と新築堤の位置関係はこうなっています。この碑の横にはやはり津波に流されなかった旧駅の階段の一部が保存される予定です。
子供たちが振る大漁旗に見送られて去る列車
最後に私にとって大きな喜びとなった写真もご紹介します。島越駅のホーム壁に私が担当した冨手淳さんの著書のタイトルが横断幕になって掲げられていたのです。鉄道ファンの編集者としてこれ以上の幸せはないでしょう。田野畑村の皆様、ありがとうございました。
線路は本当につながりました!
追伸
三陸鉄道の復旧開業の様子はWebページの方に順次アップしていきますので、是非ご覧ください。
編集部 田中比呂之(ひろし)