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昭和46年1月二俣線の旅

 中学1年の冬休み、C58撮影しに同級生と2人で二俣線を訪れました。東京発23時30分発の大垣行きに乗り、理由は定かではありませんが、私の提案で新所原ではなく、ひとつ手前の鷲津で下車。ここから知波田まで歩きました。下りの貨物列車を撮影するということで歩いたのだと思いますが、新所原発の1番列車でも間に合ったのはずなので、今となっては歩いた理由は謎です。

 早朝の知波田でC58牽引の貨物列車を撮影して、三ヶ日に移動しています。ここではC58の撮影はなく、キハ10形を駅近くで撮影しています。実はこの撮影場所が永年分からなかったのですが、昨年40年ぶりに天竜浜名湖鉄道と名前も変わっている二俣線に乗車して確認できました。ただし、何故三ヶ日で下車したのかはやはり謎です。
20140425_01.jpg 20140425_02.jpg ▲(左)三ヶ日に停車するキハ10(右)C58の置き換えが始まっていた
20140425_03.jpg 20140425_04.jpg ▲遠江二俣に到着するC58貨物と駅での入れ替え
 三ヶ日から西鹿島に移動する予定でした。これは友人から西鹿島遠州鉄道を見ようという提案があったからですが、夜行の疲れもあって2人ともぐっすり眠ってしまって、私が目を覚ましたときは、ちょうど西鹿島を発車するところでした。
 それで下車したのは遠江二俣です。現在は天竜二俣と改称しています。ここには機関区がありました。ホームや機関区で撮影をしました。今では考えられませんが、構内を自由に歩いて好き勝手に撮影をした記憶があります。
 帰りはさすがに中学生なので、まだ明るいうちに掛川から80系普通電車で帰路につきました。2人とも車内で爆睡しました。
 これが私の初めての撮影旅行です。撮影したフィルムは20枚撮り2本。さくらフィルムです。二俣線でC58を撮影するという地味な撮影旅行でしたが、初めてということもあり、とても思い出深い旅行として記憶しています。
 さらに撮影したフィルムを写真屋に持って行く際、2本のうち1本を自宅玄関で落として中のフィルムが飛び出すという間抜けなおまけまでつきました。40年経ってもそのことは忘れていません。

追伸 
「Yanshi」さん、切符裏のスタンプ、青函連絡船以来ですね。2年目もよろしくお願いします。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2014年04月25日   東海   タグ : 天竜浜名湖鉄道

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