毎週、休日になるとどこかの路線に出かけていきますが、ゴールデンウィーク後半の1日、小田急江ノ島線の駅めぐりをしてきました。この日は隣駅に住む編集者のEさんをお誘いしました。
近くにありながらなかなか小田急に乗る機会がなかったのは、乗り降り自由のフリー切符がないことも関係しています。それでも時々何かのイベントで発売されることもあるかと思い、小田急だけではありませんが、Webなどをチェックしています。なかでも新京成や東武鉄道などは頻繁にチェックしています。
連休前に小田急のホームページを見ていたら、大山や江ノ島のフリー切符で途中下車ができることがわかりました。自由乗降区間ではないので、行ったり来たりはできませんが、下車することはできるのです。それでさっそく使ってみました。
横浜線で菊名から町田まで行き、町田で「江の島・鎌倉フリーパス」(1020円)を買って、まず相模大野で降りてみました。ホームから階段を登って、コンコースを見て仰天しました。相模大野は学生時代によく乗り降りした駅です。昭和50年代なので30年も前のことになり、駅も変化して当然なのですが、駅前のどこを見ても、私の知っている相模大野ではありませんでした。
巨大な駅ビルに駅がすっぽりと収まっていたのですが、どこにこんな土地があったんだろうという印象です。江ノ島線の上り線が小田原線を乗り越す部分は変っていないようなので、駅の位置そのものは動いていないようです。30年間相模大野を通過しなかったわけではありませんが、やはり降りてみないとその変化は分からないものです。
東林間、南林間と下車して駅前をウロウロ。南林間の駅周辺の地図を見て、Eさんが駅前から伸びる放射状の道に気づきました。たしかこの「林間」は小田急が用意した「不動産開発用駅名」だったはずです。東急の田園調布や日吉のように放射状の道を造ったのですね。
大和は相模鉄道との乗換駅です。陽の当たる駅前広場に出てみると、「大和なでしこ広場」と看板が掲げられていました。川澄選手他なでしこジャパンの選手4人を輩出した大和です。広場には4人の手形も飾ってありました。私が写真を撮っている横でEさんが「サッカー選手なんだから、足形じゃないのか」と呟いていました。この広場から駅を見まわしても、どこにも「大和駅」の表示がありません。地元の人にはここが大和駅だということは自明のことと思いますが、珍しいことです。
隣の桜ヶ丘は小学校の担任の先生が住んでいて、同級生と訪ねたことがありますが、あれから40年以上の歳月が流れています。駅前には駅の規模にそぐわない広いロータリーがあり、おそらく桜の木だと思いますが、ロータリーを覆っていました。さらに桜並木の道路が駅前から伸びています。
このあたりまで乗り降りしてきて、小田急もステンレス車の時代になっているんだということ実感しました。私が親しんだクリーム色に青いラインの電車にまだ1度も出会っていません。来るのは1000系と3000系ばかりです。4000系も見かけました。結局この日は8000系の快速急行を1度見かけただけでした。
六会日大前の日大藤沢、善行の藤沢翔陵など神奈川高校スポーツをリードする学校がある駅にももちろん下車しました。善行にはトンネルもあり、ここから海に向かって江ノ島線は下っていきます。これまで台地の上を走ってきたことを知らされました。日没が近づいてきたので先を急ぎます。
藤沢では下車せず、ホームの反対側に停まっていた片瀬江ノ島行き電車に乗り換えました。ここからフリー乗降区間です。鵠沼海岸、本鵠沼に下車、この日初めて自動改札機に切符を通しました。これまでは駅員に切符を見せて改札を通っていました。
片瀬江ノ島についたときは薄暮、ナイター設備のない球場ならば、日没コールドゲームになる頃合いです。私たちの乗ってきた電車に、若者たちがどっと乗ってきました。近年、休日の江の島、鎌倉周辺はたいへんな人出だそうです。いつ見ても不思議な片瀬江ノ島駅駅舎周辺には、たしかにたくさんの人でにぎわっていました。
追伸
「ラ・メール」さま、ご教示ありがとうございました。京浜電鉄にも「大森」がありましたね。迂闊なことは書けません。出直します。
編集部 田中比呂之(ひろし)