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高尾駅は「日常」と「非日常」の結界か

 この土日は雨模様だったため、駅めぐりはお休みしました。ワールドカップ前の親善試合を見たり、Web用の素材を整理したりして過ごしました。その整理した中に、先日訪れた高尾駅の古い写真がありましたので、新旧合わせてご紹介します。

 中央本線高尾駅はいまだに私のなかで「近郊区間」の終点と位置づけられています。いわばここまでが「日常」です。中央線の電車の大半がここで折り返すということもあるでしょう。総武線の千葉、常磐線の取手、京浜東北線の大宮とはその立場は同じですが、千葉も取手も大宮もまだ「日常」が先に続いているように感じます。「結界」感がないのです。
 その点、高尾は山が迫っているせいか「ここからは別世界」という雰囲気がありありと感じられます。それはたとえ東京近郊区間が松本まで延長されるという暴挙に等しい措置がとられた現在でも変りません。(ちょっと力んでしまいました)。
 先日訪れた時、ホームであれこれ撮影しているとスカ色の115系が到着しました。ふらふらと「非日常」に誘われそうになりましたが、思いとどまりました。この駅は東京方面からE233系が出入りし、甲府方面からスカ色や長野色の115系がやってきます。もちろん115系が立川へ行ったり、E233系が大月・河口湖まで行ったりしますから、「結界」感はやや薄らいではいます。
 駅舎は和風建築の名駅舎です。この建物は昭和2年に営まれた大正天皇大喪の礼のために造られた新宿御苑駅の建物を移築したと言われています。写真を見ると細かいところが違うような気もしますが、現在の駅舎は昭和2年に改築されています。(駅舎の「改築」は全面建て直しのことを指します)。
20140610_01.png 20140610_02.jpg ▲(左)新宿御苑仮停車場(鉄道省編纂『大正天皇大喪記録』より)
 この厳かな感じが中央本線の「区切り」を感じさせるのかも知れません。ホームに戻ります。70系の写真は昭和46年1月に撮影したものです。コマ数にして3枚しかありません。キハ65は糸魚川まで行く急行「アルプス4号」です。この当時これ以外のアルプスはみな電車化されていました。この「アルプス4号」には大月で分かれる「かわぐち4号」と小淵沢で分かれる「八ヶ岳」が連結されています。残念ながら101系の写真はありません。ほぼ同じ位置と思われる場所から先日撮影した写真と並べてみます。 20140610_03.jpg 20140610_04.JPG
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 ホームの真ん中にはこんな置物もありました。毎晩懲りない酔っ払い乗り越し客たちを威嚇するために置いてあるのでしょうか。私が70系を撮影してから何年か後に、ここから甲府方面の各駅停車は115系に置き換えられましたが、21世紀の今日もこの形式が活躍しています。E233系と115系の年齢差は、101系と70系の年齢差よりよほど大きいのではないか、このあたりに私がこの駅に「結界」を感じる原因があるのではないかなどとやや強引に締めくくることにします。
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編集部 田中比呂之(ひろし)

2014年06月10日   関東   タグ : 中央本線

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