加齢とともに跨線橋の存在が気になり始めました。初めての駅に降り立ち、改札口に向かう導線に跨線橋があると、ちょっと面倒な気持ちになります。明らかに年齢のせいでしょう。
もちろん若い頃にはそんなことは考えもしませんでした。跨線橋を駆け上がり、駆け下りたことは数知れずあります。中学高校の通学では南武線武蔵溝の口の跨線橋を毎日駆け上がっていました。
鉄道ファンを続ける限り、跨線橋から逃れられないのはわかっています。駅めぐりをしている場合は、降りたホーム側に駅舎があることを祈ったりします。以前このブログに書きましたが、南武線の駅めぐりをした際には、ほとんどの駅舎が川崎方面ホームに面していて、立川方面へと駅を巡っていた私は、立川に着く頃には膝が上がらなくなっていたことを思い出します。
自分の加齢による気障りということではなく、鉄道施設として気になり始めたのは、東日本大震災の取材で山田線山田駅の跨線橋を見て以来かもしれません。山田駅は地震、津波、火事の被害にあって、それでも跨線橋は崩れることなく、しっかりと立っていました。
▲(上)山田線 陸中山田 撮影:2011年5月1日
(下)常磐線 新地 撮影:2011年4月29日(共に編集部撮影)
もうひとつ、これは直接見ていないのですが、常磐線新地駅の跨線橋も強く印象に残っています。やはり東日本大震災の際、この跨線橋上で鉄道員3人が津波をやり過ごし、その後一晩を過ごしています。地震や津波で崩れはしませんでしたが、停車中の電車の車体が津波に流されるときにぶつかったのでしょう、階段部分が大きく損傷しています。
実は東日本大震災で倒壊または崩壊した跨線橋はほとんどありません。取材でそのことを知ってから、少しずつ気になり始めました。以来跨線橋は必ず撮影をしています。Webでもなかなか紹介する機会がありませんので、ここで少しだけ披露したいと思います。
まず日光線鶴田の跨線橋です。近代化産業遺産にもなっている明治44年製、跨線橋に興味がなくても、古いことには気づくでしょう。この駅は駅舎も明治23年製でしたから、駅施設を「動態保存」しているよい例だと思っていました。駅舎は最近改築されたそうですが。
次に紹介するのは、新しい跨線橋です。相模線の番田。階段の跨線橋もありますが、その横に「両エレベーター」の跨線橋がありました。橋上に上がる手段はエレベーターしかありません。狭い敷地でバリアフリー化を実現しようとするとこうなります、という見本のような跨線橋です。上がってみると息苦しい感じがしました。
紀勢本線の三瀬谷の跨線橋は、歩道橋型とでもいうのでしょうか、屋根がありません。特急「南紀」が停車するものの、無人駅です。非電化区間のこのような跨線橋は、撮影には向いているかも知れませんが、雨の日は閉口します。紀勢線では歩道橋型を何駅かで見ました。
それと跨線橋に駅名が記されています。ここ三瀬谷だけではなく、紀勢本線や関西本線の跨線橋にはこのように駅名が入っていました。これは乗務員向けとも考えられます。
改めて見ると、跨線橋に窓がないですね。これはこの地方の特徴なのでしょうか。駅舎同様、跨線橋も奥行きが深そうです。跨線橋についてはまた別の機会に触れたいと思います。
編集部 田中比呂之(ひろし)