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大畑線=下北交通の廃線跡とちょっとだけ歩く

 青森県下北半島の恐山の麓、むつ市を訪れたついでに大畑線=下北交通の廃線跡をちょっとだけ歩いてきました。廃線跡歩きは久しぶりです。出張中の空いた時間を利用しての廃線歩きなので2駅3キロほどでした。

 この空いた時間をどう過ごすかを考えたとき、この大畑線廃線跡歩きともうひとつ気になっていた田名部軌道のことを調べに図書館に行こうかとも思いました。Webには切符が2枚アップされているだけで、どんな車両が使用されていたのかも知らないので、ちょうど良い機会かとも思いました。
 大湊線陸奥横浜〜大湊間が開通したのは大正10年で、現在の赤川駅は田名部駅として開業しました。とはいえ、むつの中心地田名部市街からはかなり離れていました。そこで田名部駅と田名部市街を結ぶ鉄道が大湊線開通から2ヶ月後に開業しました。これが田名部軌道です。
 この田名部軌道の跡を歩くことも考えましたが、なにしろ廃止が戦前ですので、下調べなしに歩くことは「危険」です。単に道路を歩くだけになる可能性があります。
 前置きが長くなりましたが、宿泊したホテルの目の前にある大湊駅からひと駅乗って、下北で降りました。下北駅ホームの野辺地寄りには下北交通時代の木造屋根がそのまま残っています。
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 私が大畑線=下北交通を乗りつぶしたのは、下北交通になってからでした。確か下北交通の線路と大湊線の線路がつながっていなかったことが、印象に残っています。木造屋根が残っているホームの片側を下北交通が使用していました。現在は雑草に覆われていて線路があるのかどうかは確認できませんでした。
 下北駅前の道路を野辺地方面に歩くと、すぐに踏切跡とわかる場所が現れました。その先を見ると典型的な廃線の風景ですね。線路跡は歩かず、横の道を線路跡に沿って歩いて行くと、また踏切と思しき場所に出ました。
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 その先を見ると、廃線跡に新しい住宅が建ち並んでいます。廃線跡はそのまま放置、または歩道や自転車道などに転用されるケースが多いのではないかと思いますが、住宅用地としてかなりの規模で開発されているこのようなケースは珍しいかも知れません。1キロ以上新しい住宅が廃線跡に建ち並んでいました。
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 30分ほど歩くと住宅が途切れ、多少広い草むらになりました。このあたりが田名部駅の構内だったのでしょうか。調べないで来るとこういうことになります。横には熊野神社があります。熊野神社の前で携帯電話が鳴り、仕事に戻らなければならなくなり、廃線跡歩きはここまで。遠目に見える橋台に後ろ髪を引かれる思いで、仕事に戻ることにしました。
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編集部 田中比呂之

2014年07月08日   東北   タグ : 下北交通, 大畑線

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