ホーム > Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 > 北海道 > 昭和末期、北海道駅舎の旅 承前
昭和末期、北海道駅舎の旅 承前

 他人の褌で相撲を取る、という言葉はもちろん否定的に使用される表現だと思います。2日続けて「特急ビヤダル」さんのアップされた写真でブログを書くことにかなりのためらいがあることを告白しておきます。

20140717_01.jpg
 しかしこの機会を逃すと触れることができなくなるかもしれないので、お許しください。昨日は宗谷本線の駅舎をご紹介しましたが、すでに函館本線も長万部を通過して、今日には駒ヶ岳周辺まで達しそうな勢いです。看過できない(この表現も否定的に使われます)駅舎の写真が函館本線にもアップされていますので、どうしても触れたいのです。
 宗谷本線から函館本線に入ると、総じて駅舎のサイズが大きくなっていますね。乗降客数に対応して駅舎のサイズが決まるのでしょうか。それはともかく、まず苗穂駅の駅舎に目がとまりました。どういったらいいのか、表現しにくいのですが、アメリカ風デザインを感じました。広場側にホームのような屋根がついているからでしょうか。それに和寒のように映画のセットのように美しい佇まいです。開拓村などに保存されているようでもあります。蘭島、塩谷にも似た雰囲気を感じました。
20140717_02.jpg 20140717_03.jpg
 苗穂にはこの駅舎の時代に降りたことがあるはずなのですが、まったく覚えていません。その時は苗穂機関区を訪問することで頭がいっぱいでした。
 もうひとつ、琴似駅です。今は高架になってこの写真の面影もないでしょう。この駅舎のデザインは他に類を見ないのではないかと思います。マッチ棒で駅舎の模型をつくるとこの雰囲気を出せるかも知れません。
 「日本の駅」(鉄道ジャーナル)によりますと、昭和12年に一部改装したらしいことは分かっているようです。ひょっとすると明治13年開業時の姿に近い可能性がありますね。よく見ると短い辺に出入口があるので、他駅と違う印象になっていることがわかります。
20140717_04.jpg
 「特急ビヤダル」さん、失礼しました。このまま津軽海峡を渡ってしまうのでしょうか。
▲写真全て:ビヤダルさん

追伸
 「KINU」さま、弊社の群馬県人2人は、上毛カルタは群馬県以外にも当然知られているものだと思っていた、告白しています。私がこのカルタの存在を知ったのは、この2人のどちらかが偶然このカルタのことに触れた時でした。すでに50歳を過ぎていました。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2014年07月17日   北海道

PAGE TOP