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関東大震災と鉄道2014  第2話 〜根府川を訪ねる〜 内田宗治

 関東大震災の被害の中でも、震源域に近い東海道本線白糸川橋梁の流失は衝撃的だった。上流の山が崩壊、根府川駅付近も崩壊した。しかも真鶴行き列車が駅に到着する時刻で、列車は機関車ごと海に没した。『関東大震災と鉄道』の著者内田宗治さんがあらためてその現場を訪ねました。

 昨年の冬、根府川を訪ね、山麓に広がるミカン畑の道を登っていった。関東大震災の白糸川橋梁や根府川駅被害写真と同じ角度で写真を撮ってみたかったためである。
 東海道本線根府川駅近くに架かる白糸川橋梁は、かつて列車撮影の名所だったが、橋上に風除けフェンスができたため、訪れる鉄道ファンはぐっと少なくなった所でもある。
 同じ角度の場所を見つけてそこから眺めると、関東大震災で最大の鉄道被害地となった根府川駅周辺の凄まじい様相が、まさに実感できる。被害写真では、白糸川の向こうに倒れたアンダートラスの橋桁が見え、その手前に木の生えていない部分が左右に広がっている。そこが押し流されてきた山津波の土砂である。橋のすぐ向こうは根府川駅だが、その場所も完全に崩壊している。
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▲(左)関東大震災での山津波により流出した白糸川橋梁。現在のものとほぼ同じ形の橋が架かっていた
 (右)左写真と同じ角度からの最近の姿。赤い鉄橋が白糸川橋梁で、橋のすぐ向こうが根府川駅

 大正12(1923)年9月1日の関東大震災は、相模湾とその一帯が震源域だった。鉄道線路沿いでいえば、大船から熱海にかけてが、震度7相当の激震に襲われた。
 白糸川では、上流4キロの大洞山が崩壊し、山津波となって大量の土砂が谷を時速50キロでかけ下ったとされる。白糸川橋梁は、橋脚六本のうち五本が切断され、三連のアンダートラス桁のうちの1本と橋脚3本は、100メートル先の海中に埋まってしまった。
 川沿いの集落では159戸のうち78戸が埋没し289名の死者を出した。根府川駅は地すべりで駅構内すべてが海へと崩れ、まさにその瞬間、小田原発真鶴行き列車がやってきて、列車は45メートル下の海へと転落、全乗客150名のうち約100名が死亡または行方不明となる大参事となった。拙著『関東大震災と鉄道』では、この列車に乗っていて助かった乗客の手記も掲載した。
20140829_03.jpg 20140829_04.jpg ▲(左)地すべりに巻き込まれ、根府川駅のすぐ真下に転落した小田原発真鶴行き列車
 (右)機関車1両+客車8両の編成のうち、客車2両のみが海岸に横たわり、残りは海中に没した

 東海道本線白糸川橋梁のすぐ上流では、東海道新幹線がトンネルとトンネルの間、ちょっとだけ地上に顔を出す。東海道本線より新幹線の方がやや低い場所を通っている。
 根府川で「離れの宿 星ヶ山」を営む内田昭光さんに、これまで何度かお話を伺ってきた。昭光さんのお父様の内田一正さんは、関東大震災の根府川被害について詳細に調べて記録を残された方である。一正さんの調査では、関東大震災の山津波は、新幹線のトンネルの上にまで達している。また昭光さんの話では、白糸川鉄橋付近、押し寄せた土砂はとくにその後撤去したわけではなく、逆に新幹線の南郷山トンネル工事の際、掘りだした土をこの付近に持ってきて、宅地を造成したという。
20140829_05.jpg 20140829_06.jpg ▲(左)内田一正さん手書きの調査地図。茶色い部分が山津波と地すべりの被災地。下の線路が東海道本線、左上の線路が東海道新幹線
 (右)左地図の地を山側から望む。手前が東海道新幹線、奥の赤い橋が東海道本線の白糸川橋梁

 白糸川には、現在砂防ダムなど土石流に対する対策が行われている。万全か否か、ここでは安易に結論づけることは避けたい。関東大震災から91年、東海道新幹線開業から50年が経つ。新幹線工事の造成で川沿いの低い地に家が建てられたということは、震災から40年ほどで、災害の記憶が風化していたとも言えるだろう。
 根府川付近は、今でも列車撮影にいいスポットが点在する。根府川駅舎も風情がある。改札口横には、関東大震災殉難碑が建っているので、訪れたらそれにも目を向けてみたい。

2014年08月29日   その他   タグ : 関東大震災

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