作家の随筆風タイトルを気取ってみました。もちろん私には軽井沢に親しんだ経験はありませんし、鉄道趣味でもそれほど重要な場所ではないような気がします。
午前中に軽井沢に着くと、爽やかな風が吹いていました。新幹線で軽井沢に降り立つのは2度目ではないかと思います。まず保存されている旧駅舎を見に行きました。橋上駅舎につづくペデストリアンデッキから、見下ろすことができます。
駅舎正面には交番の建物があり、旧駅舎全景を正面から撮影するのはできません。なんと無粋なことをするのかと思いつつ、近寄ってみました。線路側にはホームもあり、そこには保存車両も留置してありました。いずれも信越本線には欠かせない車両です。良い雰囲気が漂っていました。
EF63-2、10000形アプト式電気機関車、169系がホームに沿って保存されていました。アプト式電気機関車の活躍は知りませんが、EF63や169系にはお世話になりました。EF62もあればなおよいのにと思います。
最初に信越本線の列車に乗車したのは、小学校低学年の時で、金沢行きの急行「白山」でした。その時の牽引機がEF62で、それ以来親しみを覚え、Nゲージの模型を始めたとき、最初に買ったのがトミックス製EF62でした。
中学生になると、昨日も書きましたように学校の施設が菅平にあり、何度も信越本線に乗ることになりました。だいたい169系の急行「信州」か「妙高」でした。横川では9割ぐらいの確率で「峠の釜めし」を買って食べましたし、また同じぐらいの確率でEF63の連結や解放を見に行きました。
保存駅舎のホーム側に留置されている車両を見るだけでも、いろいろな思い出が頭をよぎります。保存駅舎の前にある交番の陰になって気づきにくいところに、草軽電鉄の電気機関車が保存されていました。写真や動画では何度も見ていましたが、実物を見るのは初めてでした。
この鉄道は軽井沢駅前に駅を構えていました。旧軽を通って草津へ。妄想を掻き立てられる鉄道ですね。スイスのような赤い電気機関車と10m級の客車を連ねてリゾートと温泉を結んでいたら、どんなに楽しい風景でしょう。
橋上駅舎に戻って反対側に行ってみました。新幹線ができるまではこちら側に出口はなかったはずです。橋上駅舎からつながる歩道橋の上から大勢の人々と渋滞する車の列が見渡せます。夢から覚めて、これが現在の軽井沢です。明らかにこちら側の方が賑わっています。軽井沢は鉄道で訪れる場所ではなくなり、車で買い物に来る場所に変貌していました。
1時間ほどの滞在でしたが、かなり楽しい時間を過ごしました。
編集部 田中比呂之(ひろし)