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京急大師線のこと(続)

 昨日は中央本線(1)沿線などのオープンのお知らせがあり、1日飛んでしまいましたが、一昨日の「京急大師線のこと」のつづきを書きたいと思います。川崎大師駅前にある京急発祥の石碑を紹介しました。今日はその先へ行きます。

 川崎大師から先は昭和12年に廃止になった鶴見臨港鉄道軌道線の敷地を利用しています。また戦前の鳥瞰図を見つけましたので、川崎周辺の部分を掲載します。これは昭和9年川崎市が作った工場誘致のためのパンフレットのようです。絵の端に「工場は川崎へ」と書いてあります。
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 川崎大師駅前でちょっと逡巡してから、久しぶりに川崎大師に向かいました。参道はお店こそ変わっていますが、子供の頃と印象はそれほど変わっていません。前に来たのはいつだろうかと考えながら歩いていて、嫌な記憶というか、今では笑い話を思い出しました。前に来たのは就職祈願でした。これまた何故川崎大師を選んだのか覚えていません。大学の友人と一緒だったことは覚えています。
 ここで生涯初のおみくじを引きました。おそらく友人にそそのかさせたのだと思います。引いたおみくじが「大凶」でした。大笑いしている友人たちと共に笑いましたが、それ以来おみくじを引いたことはありません。そんなことを思い出しました。
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 川崎大師から隣駅東門前まで歩きました。途中の公園で南アジア系の父親がバットを握り、子供に向かってノックをしていたのですが、線路に飛び込んだボールを平然と拾いに行ったことに驚きました。
 東門前の駅舎は新しくなって、構内踏切付近は工事中でした。ここから電車に乗り、産業道路は降りずに小島新田に向かいました。産業道路駅も大工事中でした。小島新田に掲示されていた工事の概要を見ると、産業道路駅は地下化するようです。興味深い計画図などもありますので、ご覧下さい。
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 久しぶりに降りた小島新田のホームは仮のホームです。ここの駅前の終着駅感が割と好きなので、この時も煙草を吸いながらしばらく駅前に佇みました。あとから聞いた話ですが、この先に横たわる東海道貨物線ができるまでは、線路はもう少し海の方へ伸びていて、この駅を利用する多くの工場勤務者にも便利だったそうです。
 駅が今の場所に移ってきたことで、貨物線の操車場を跨ぐ長い跨線橋を歩くことになったのですが、おかげで駅前で帰宅前に一杯飲んで帰る人たちのための店ができたそうです。
 楽しい半日を過ごしました。

編集部 田中比呂之(ひろし)

2013年12月20日   関東   タグ : 京急大師線, 鶴見臨港鉄道軌道線

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