東日本大震災では列車の乗客乗務員の死亡事故はありませんでした。これは災害マニュアルがしっかりとしていたというより、現場の鉄道員の機転が危機を救った場面が多かったようです。実は関東大震災でも現場鉄道員の奮闘で危機を脱した例がいくつも報告されています。
関東大震災の被害の中でも、震源域に近い東海道本線白糸川橋梁の流失は衝撃的だった。上流の山が崩壊、根府川駅付近も崩壊した。しかも真鶴行き列車が駅に到着する時刻で、列車は機関車ごと海に没した。『関東大震災と鉄道』の著者内田宗治さんがあらためてその現場を訪ねました。
3月11日とともに私たち日本人が忘れてはならない9月1日が近づいて来ました。1月17日を含め、年に3回は大震災への心の備えを新たにする日といってよいでしょう。当ブログでは今日から3回、『関東大震災と鉄道』(iPadアプリ「ビジュアルブック 関東大震災と鉄道」はこちら)の著者内田宗治さんに特別寄稿をお願いしました。
昨日に続き、内田宗治氏の駿河小山取材レポートです。谷口梨花が『汽車の車窓から』で「煌々たる電燈は夢の如く竜宮城を現出して、目を見張らずには居られぬ光景」と描写した筋紡績小山工場は、一瞬にして瓦礫となりました。
関東大震災の起こった大正12年は、まだラジオ放送も始まっていませんでした。そんな日本のメディア状況だったのですが、未曾有の大震災を映した動画が残されていました。そこには静岡県小山町の様子が2分余り映されています。今日から3回、『関東大震災と鉄道』(小社刊)の筆者内田宗治氏にこの動画をもとにあらためて取材していただきました。
有隣堂チェーンでは、『大正12年、日本を襲った「関東大震災」に学ぶ』というフェアを各店で開催中だそうです。思い違いをされている方も多いかと思いますが、関東大震災の地震の震源域は神奈川県沖の相模湾です。特に神奈川県西部は地震による被害が甚大でした。地元の有隣堂がフェアを開催するのは、時宜を得た催しだと思います。
来週の日曜日は9月1日、関東大震災が起こった日です。大正12年9月1日から今年は90年目になります。2年前の東日本大震災は、巨大地震にもかかわらず、地震によって発生した津波による死傷者の方が圧倒的に多数でした。関東大震災では、やはり地震によって発生した火災によって多くの人命が失われました。では鉄道はどうだったのでしょうか。
小中高生は夏休みですね。夏休みといえば、宿題です。夏休みの宿題。あまり良い思い出はありませんが、大人になってから、茶飲み話で夏休みの宿題を話題にすることがしばしばあります。いつの頃からか、夏休みの宿題は、性格判断になるのではないかと思い始めたからです。